音俳句・本日の一句・my備忘録

(2010年4月・6月〜2013年6月)

2013年6月↑


2013年5月↑


「擦れ合ふて」ですが、複合動詞「擦れ合ふ」は四段活用なので【は・ひ・ふ・ふ・へ・へ】と活用します。
「〜て」という助詞に接続するのは連用形ですから、「擦れ合ひて」となります。

2013年4月↑


2013年3月↑


「早引けせし」の「し」は過去の助動詞なので、ちと意味が違ってきます。
「早引けせる」と完了の言い方にするか「早引けする」と口語で言うか、二択でしょう。

「繊月」とは【細い形の月。三日月などをさす】秋の季語です。

「眠りし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形

「戯れ遊ぶ」を具体的に描写すると、一句にオリジナリティーが加わります

まずは「何を表現したいのか」を自問自答にて明確にしなくてはいけません。
そして、自分なりに作り上げた句が「表現したいことが実現できているか」技術的な問題を含めて、他人の意見を率直に聞く(句会や選句欄に投句する)ことが肝要です。

「捨つ」は終止形

「芽吹きの恋」は、「芽吹く」という季語を比喩的に使った一句

季重なりを成功させる方法の一つ「片方の季語を比喩として使う。」

2013年2月↑


「一月」も「兎」も冬の季語ですが、二つの季語を入れたい時には、「一月の兎」このように季語を合体させるのも一手です。

「〜という」の意でしたら「〜てふ話」と書いて「〜ちょう話」と読むのが正しいかと思います。

「お告げつたへし」「声響かせし」の「し」は過去の助動詞です。過去において、そういうことがあったという意味になるわけです。
過去というよりは、今、お告げが伝えられ、声が響いている、ということが表現したかったと考えられますので、この場合は「お告げ伝える」「声の響ける」と推敲すべきかと考えます。

「聴き入っている様子」を言いたいわけですから、「ことづてを聴く」としてもいいし、
敢えて意志の助動詞を使って「ことづて聴かん」としてもいいかも

「聴けり」は完了の助動詞ですから、今、聞き終わったよ、という感じね

「眩しかり」は形容詞の連用形なので、基本的には「眩しかりけり」という具合に接続していくべきなのです。
逆に「眩し」と終止形で言い切る方法も考えられます

「せり」の「り」は完了の助動詞です

「従兄弟」でなく「従姉妹」でなく敢えて「従姉弟」ということは、複数のイトコを表現したのでしょうか

「に」は散文的なニュアンスになりがちな要注意の助詞です。ここは「の」に変えてみましょうか

過去の助動詞「し」は、過去において去っていたというニュアンス。
例えば、過去において去っていった人だから「去りし人」って感じね。
今まさに「刻」が去り、新しい刻が生まれる、というニュアンスならば、「去りゆく刻」と現在進行形

「とめり」の「り」は完了の助動詞ながら、「止む」という下二段活用の動詞には接続できません。
(※完了の助動詞「り」は、サ行変格活用の未然形あるいは四段活用の已然形にしか接続できないのです。)
この場合、完了の意味を出したいのであれば、「橇とめぬ」としてもいいし、もっとシンプルに「橇とめて」としても問題ないでしょう。

字余りにはなりますが、下五を「逃げる降りる」と終止形を重ねると、リズムが生まれますよ〜♪

俳句には、いろんな型があります。その型を真似っこしながら、自由自在に使えるように練習していくのが、俳句の修行ってヤツです。

「始まりし」の「し」に問題があります。「し」は過去の助動詞「き」の連体形。始まったばかりの、というニュアンスを表現したいならば、「始まれる」とすればそれに近いかな。

2013年1月↑


「哀しけり」という言い方ですが、文法的には「哀しかりけり」というのが正しい言い方です

2012年12月↑



「落ち」と連用形にせず、「落つ」と終止形で言い切るとよいでしょう。

「爛々(らんらん)と」は、形容動詞「爛々たり」の連用形。光り輝くさま。また、鋭く光るさまをいいます。

「震りぬ」は動詞の連用形+完了の助動詞「ぬ」。
「震りぬる」は連体形。

「秋空に」の「に」は場所を示す助詞。
「へ」は動作の方向を示しますから、秋空へ向かって、という意味になります。
もう一つの可能性として「秋空や」と切るのも選択肢の一つ

【あや‐にく・し〔形ク〕(「あやにく(生憎)」を形容詞に活用させたもの)思うようにならないでぐあいが悪い。】とありまして、ほお〜なるほどと納得。形容詞ク活用ということなので、連体形は「あやにくき」「あやにくかる」となりますね。

2012年11月↑


「彫れば」つまり「依然形+ば」という表現は、幾つかの意味があるのですが、この場合は「彫っているとたまたま」というニュアンスに読めばいいでしょう

「〜に」とする場合と「〜へ」とする場合、意味が微妙に変わります。どちらが自分の表現したいニュアンスであるのか、検証してみるのも推敲の勉強

「うそ」は「薄」から転じた接頭語ですから、うっすらと寒さを感じ始める頃、と解釈すれば良いでしょう

「海猫集むる」→「集む」は、文語の他動詞ですので、口語では「集める」の意味になります。
「海猫」を集めているのならば、「海猫を集むる」と、助詞を入れるべきでしょう

中七の「真似して」というのが行動を説明する表現になっている点が、少々惜しいですね

下五「楽しけれ」は形容詞の已然形ですので、「楽しけれ(ども)」という具合に接続します。
この場合は「楽しかり」と連用形で止めておくのが、無難でしょうか。

2012年10月↑


「から」と「過ぎゆく」との叙述にささやかな齟齬(そご=くいちがい)があります

下五「〜や」は大変難しい型です

「〜へ〜のめる」→「へ」という助詞と「のめる」の叙述の関係。原句に忠実に考えると「〜をのむ〜へ」とすれば問題が解決しそうです。

「〜のままの」がやや散文的

「出目金」は夏の季語「金魚」の傍題ですが、ただこの句の場合は人間が「出目金」みたいになってるという比喩の表現になってますので、季語として機能しているかという点においてはやや問題があります

2012年9月↑


「汽車の」の「〜の」は主格の助詞ですから、この場合は「は」に言い換えることが可能です。「汽車は夏雲製造機」と言い切った方が、一句に勢いが加わります。
ちなみに「は」は、他者と区別して「これは」と指差すようなニュアンスを持つ助詞です。

中七「〜近し」は終止形の切れ「〜近き」は連体形

中七「音して」の部分に切れを入れると、一句に背筋が通ります→「音せり」「音すや」

「夏の名残」は「夏の果」の傍題だと考えればよいでしょう。

「長々し」がもったりした言い方なので、微調整→「長し長し」「長き長き」

中七「自責の念や」の切字「や」は、すぐ前の語「念」を強調し詠嘆します

上五「〜に」が散文臭を放っています

上五「〜で」が散文的になりますので、ここは「〜に」とすべき

上五の6音は十分許容範囲。ただし、中七は極力字余りにしないのが俳句の定石の一つです

「セミ時雨」は、漢字で書いた方が迫力がでます

「蝉ないて」は「蝉鳴いて」と漢字にすると、字面的にも暑苦しい画数になってきます

「カンナ燃ゆ」が終止形の切れ、「命のビザや」で切字の詠嘆、さらに「決断す」で動詞終止形の切れが入り、全体で「三段切れ」という形になることです。
三段切れは、リズムがブチブチと切れるので、定石としては避けたほうが無難な型。

「〜も」という助詞が、散文的な印象になっていること

「〜で」は、散文的な助詞の使い方。

2012年8月↑


「入梅」は時候の季語、「梅雨」は天文の季語。その違いを理解しておくと、読みも深まります。

「明易(あけやす)し」は夏の季語「短夜(みじかよ)」の傍題

「遍路道」→「札所道」「札所坂」とすることも可能です。

「蛙」は春の季語ですが、講談社版『新日本大歳時記』では「牛蛙」や「雨蛙」「青蛙」「蟇(ひきがえる)」は夏の季語となっています。

「鶯」そのものは春の季語。今の季節になるともっと鳴き方が上手になって「夏鶯」「老鶯」と呼ばれる夏の季語となります

「お得けり」という言い方に問題がアリ!この場合でしたら、「ただでお得なコンサート」とすれば、すらりと意味が通じますし文法的な問題も解消します。

「入梅に」→上五を「入梅や」と切ってもいいですね。「や」の切字が、時候の季語「入梅」を強調、詠嘆します。

「蛙」は春の季語だけど、下五「親ガエル」に季節感ないけどなあ(苦笑)。

季語が複数入ることが絶対にいけないわけではないのですが、複数の季語を入れて詩として成立させるのは上級者コースの難しい技。まずは一句一季語からコツコツ練習いたしましょう。

2012年7月↑


「卯浪」は陰暦卯月の波ですから、陽暦でいうと卯の花の咲く五月頃の波。美しい季語の一つです。

思い浮かんだ単語から発想していくのが「音俳句」なのです。
今月の音は一体何の音だったのでしょう?!と当てっこするだけなら、それは「音クイズ」。
音の正体を当てるのが目的ではなく、音の正体をあれこれ想像して楽しむのが「音俳句」なのです。
ワタクシも音の正体を知らないままの選句を毎月楽しんでおります。

「臥待」は「臥待月」という秋の季語。布団に入って待ってる頃、夜更けに上る月を指します。

文法的な話になりますが、この句の「響けし」という言い回しに問題があります。「響く」はカ行四段活用の動詞で【か・き・く・く・け・け】と活用します。それに対して「し」は過去の助動詞「き」の連体形。この助動詞は、動詞の連用形にしか接続しませんので、正しくは「響きし」となります。が、この場合の句意を考えると、過去にあった出来事というよりは、「踏んでみる度に」というニュアンスですから、完了の助動詞「響きぬ」あるいは「響けり」を使うのが適切かと考えます。「

「若葉」は三音の季語ですから、「若葉風」のように二音の情報をくっつけるとバリエーションが生まれます。「窓若葉」「若葉冷」などの季語にも挑戦してみるといいですね

【上五中七のフレーズに対して下五で変化球!】これも定石の一つであります。

「音俳句」のコツは、「今月の音」から見つけた単語や光景をどう連想していくかという、連想ゲームなのですよね。

「しおまねき」は漢字で書くと「望潮」と書きます。かたっぽのハサミ脚がすごく大きな蟹を見たことありませんか。あれがシオマネキ。潮が引くとハサミを上下に振るのでこの名前があります。

2012年6月↑



助詞「を」の使い方に感心します。「に」「の」「や」では表現できない時間と空間が生まれます

「打ち替へる」という複合動詞

上五を「四音の季語+や」で構成し、中七下五で「季語とは関係のない十二音」を取り合わせる基本形の一つです。

「如し」→「如き」

「に」は散文的になりがちな助詞なので要注意。

季語「目借時」は「蛙の目借時」を短く表現した傍題です。春になると眠くてたまらないのは、春の季語「蛙」たちが人間の目を借りていくからだという説もある、飄々たる季語です。

「〜叩くほどなき」の意味がやや不明瞭な点が残念。「叩きもせずや」「叩くにあらず」等、表現したい内容が明確になるよう推敲を工夫してみて下さい。

「〜に」が散文的な使い方になっているのが残念。「〜も」についても同じことが言えます。

「何もかも」とするよりは、具体的な何かを提示すると「春思」の内容に読者はグッと寄り添えるようになります

文学と道徳は本来立つ位置が違うと考えます。但し、心して使わねばなりません。

五・五・七のリズムでの十七音。こんなリズムの刻み方もあるということ、覚えておくと便利ですよ。

「〜削り落として」→「〜削り落とさば」とすれば「削り落としたならば」という仮定条件になります

必要な言葉は選び、不要な言葉を削るのが、俳句の推敲という作業です。

2012年5月↑


「ひじき」は「鹿尾菜」とも書く春の季語。「ひかる鎌」が農作業の鎌ではなく、海の「ひじき」を刈るものである

「てふ」は「ちょう」と読んで、「〜という」という意味。

文法的にいえば「解けば」は「解いたので(確定条件、原因理由)」「解いてみると(偶然条件)」「解いた時はいつも(恒常条件)」というような意味。「解いて」よりは「解けば」の方が思いに奥行きがでますかね。

「押し遣る」(おしやる)という複合動詞

「漁場向かいし」の「し」は過去の助動詞になりますから、一句にもう少しの勢いをつけようとするのであれば、「漁場へ向かう」とする方法もあります。助詞「へ」が一句に動きを与えてくれます。

「阿蘭陀」と書いて「オランダ」と読みます。一句の問題点は、この「貢ぎ物」がオランダから来たのかオランダに行くのかが分かりにくい点。仮に前者であれば「阿蘭陀渡りの貢ぎ物」、後者なら「阿蘭陀へ渡る貢ぎや」とすればOK。

「昼寝中」とすれば只今その時間であることを強調し、「昼寝息」とすれば人物の寝顔にアップする感じ。さらに「大昼寝」とすれば豪快な寝入りっぷりに焦点が当たります。たった一字の違いですが、作者が表現したいことに最も近い一字を選択することが最後の推敲となりますね。

灯台守という仕事があるように「風車守」という人たちもいるのですね〜。

下五が「冬の海」ですから、「冬の波」に比べて光景が広がります。その分、作者の視線は遠くに向けられることになります。

「後悔はないか問われる」」←言葉のちょっとした調子の問題ですが、「後悔はないかと問われ」とすることも可。

「呼びたてる」という複合動詞

「声も」ではなく「声を」とすると散文臭が消えますよ。

2012年4月↑


「決まれば」という表現は、動詞「決まる」の已然形+接続助詞「〜ば」がくっついたカタチです。意味は三通りありまして、順接の確定条件(〜ので)、偶然条件(〜ところ)、恒常条件(〜といつも)の意味になります。どれに当てはまるかは、ケースバイケースで判断する必要があるのですが、この句の場合は「帯の位置が決まったところで、(ふと)梅は咲いたかねと(問いましたor問われました)」という意味になります。仮定形(もし〜ならば)の意味にしたいのであれば、「決まらば」となりますが、この句の場合は「決まれば」という表現にリアリティーがあります

単語を繋げていく並列も、俳句の型のひとつです。この型を成功させる小さなコツは、並べていく単語のイメージを少しずつ裏切りながら重ねていくこと。

「胡姫(こき)」は李白の詩「少年行」にも出てくる言葉。
「胡」は異民族の意。
唐の時代の「胡」はイラン人を指すようになり、李白の詩では「胡姫=酒場のイラン人の娘」を意味します

「帯で正すや」問題になるのは「〜で」という助詞の散文臭です。「帯もて正す」でOKかな

「〜や〜し」と文語表現をとりつつ、下五だけが「笑ってる」と口語表現になっています。
句の内容からすれば、「琴の音が春も近いと笑ってる」と口語で統一してもよいかもしれませんね

「冬麗」「秋麗」は春の季語「麗(うらら)」から派生したもので、厳密にいえば「春うらら」は季重なり。
上五を「麗らかや」とすれば問題解消です。

「後朝の別れ」とあれば「寂しや」は言わずもがなの言葉。

「位置をずらせる」→「ずらせる」という言葉が散文的な感じもしますので「位置決め直す」とでもすると、格調が生まれますよ

上五に季語ではない言葉を置き「〜や」で切り、中七下五の十二音で季語を含んだフレーズを作る。
これも俳句の型の一つです。
西東三鬼の「中年や遠く実れる夜の桃」のように言葉のイメージを少し離すとこの型は俄然面白い効果を発揮します。

「息つく暇無く」→ 「息つく間なき」

「擦る音」が何なのか分からないため、「早春の気」の説得力がやや薄いのが惜しいですね。
「今月の音」をストレートに詠みこんで「琴の爪早春の気を撒き散らす」とでもすれば、季語への納得が生まれます。

「初舞台」は、初めて舞台に出演することで、季語としての働きはありません。

2012年3月↑


季語のことだけで17音を構成する技を【一物仕立て】といいますが、この手法は徹底的に観察し、描写するしか手立てがありません

下五「抱き止む」という複合動詞。
完了の助動詞「〜り」(抱き止めり)は「抱き止む」という下二段活用には接続しないことです。
この場合は「抱き止めぬ」とするのが正しい用法となります。

上五「〜で」は散文臭のする助詞ですから、この場合は「故郷に」とすればよいでしょう。

「もち米の香」といっただけで、すでにその香は漂ってるわけですから、さらなるワンランクアップを狙うのならば、「漂う」という動詞を外して一句の表現を整える方法もありそうです。

「年の瀬」「白き息」が季重なりですが、二つの季語を合体させると、幾分読みやすくなります。「年の瀬の息白し」

上五を五音にするために「星なりし」としてますが、この表現では「星であった」と解釈されてしまいます。
敢えて字余りにして「星となりし」とすれば、表現したかったことを正しく伝えることができますよ。

2012年2月↑


上五「白し冬」ですが、「白し」は終止形なので「冬」に接続せず、切れが生じます。
「白き冬」と連体形にするか、「冬白し」と語順を変えるかすれば、問題が無くなります。

「〜も」は散文的になりがちなため要注意の助詞です。まずは「〜の」に置き換えてみて、意味上の支障がなければ「〜の」を選ぶというのが、定石ではあります。

実はこの「氷雨」は少々やっかいな季語です。
【 雹(ひょう)や霰(あられ)のこと】を指す夏の季語として使われる場合と、
【冷たい雨。また、みぞれ】を指す冬の季語として使われる場合があります。

「老ひ桜」→上五の動詞「老いる」は口語の表現ですが、これを文語でいうと「老ゆ」が終止形となります。
ヤ行上二段活用の動詞なので、「老ひ」ではなく「老い」とするのが正しい用法です

2012年1月↑


「聞く」を「聴く」とすると、句意に深みが生まれます。

「見たり」で強い切れ、「かな」で深い詠嘆が重なるため、感動の焦点がややビミョー
「見たり」を「みゆる」で「かな」の詠嘆に焦点を合わすか
「見たり」を「見えん」として「見えるに違いない」と推量にするか方法は幾つか考えられます。

「生活音」と一括りにするとそれで終わってしまいますが、
例えば「コップの触れる音がする」という具合に一つ一つの音を拾っていけば、そこに様々な句が生まれ始めます。

「〜や〜かな」と強い詠嘆の切字が二つ入るのは、感動の焦点がブレるという理由で嫌われます

「冷し」「冬至」どちらも冬の季語

「へ」は方向を示す助詞ですから「小窓へ」集まってくる様子、
「に」は場所を示す助詞ですから「小窓に」集まっている状態をいいます。

「見し」←「し」は、過去の助動詞「き」の連体形で、「(過去において)みましたよ」というニュアンスになります
現在格闘してるようですから、「みる」とすればO.K.。

下五「過ぎ」の連用形だと切れは生じませんが、「過ぐ」と終止形にすると最後に切れが生じ、そこに詠嘆が生まれます

「風邪」「玉子酒」はどちらも冬の季語

「雪虫」が冬の季語、「冬支度」が秋の季語

「ペチカのティーも馨る夜」」←「も」としたい気持ちはわかりますが、「の」でO.K

「住職の不在に手抜く煤払い」は「に」という助詞が散文的ですから「住職の不在手を抜く煤払い」としてみましょう。
「住職の不在」の後に軽い切れが入り、さらに「手を抜く煤払い」の後に名詞止の切れがあります。
中七の途中に切れを入れるのも、俳句の型の一つです。

「行燈の灯りで茶の湯雨月かな」は「で」という散文的な助詞を外して「行燈の灯り茶の湯の雨月かな」としてみましょう。
「行燈の灯り」の後に軽い切れがあり、さらに「茶の湯の雨月かな」の後に深い詠嘆が入ります

「で」を「に」に「冬暖かく」は「冬暖かき」にすれば、助詞等のちょっとした言い回しで散文臭が薄まってくること、分かりますか?

「噴きこぼす」と語れば上五中七の状況は想像できるので、「いつ?何を?」という情報を入れてみましょう。
仮に「噴きこぼす○○○○○○○十二月」としてみますね。
中七を「鍋の味噌汁」「朝の味噌汁」「父の味噌汁」等、まだまだ様々な情報を入れることが可能です。

「去年今年」はこの四字熟語(?)で新年の季語。去年から今年へ移る刹那を言い止めつつ、「今年」であった時間が瞬時に「去年」となる感慨を語る季語です

2011年12月↑


「黙」は「もだ」と読みます

「見つからぬうち」→「見つけてくれず」とすると、散文臭がやや薄れます。

「かなづち〜溺れ」の重なりがややうるさくもありますが

「満月」とあれば、その光は想像できますから「あびて」の説明はこの場合不要でしょう

「寒の水含みて」とすれば「口」であることは分かりますので「くちに」の三音は不要な言葉。

「七草」というと「七種(ななくさ)」とも書く新年の季語となります。藤袴などを数える「七草」は、「秋の七草」と呼んで区別します

『もんぺ』は冬の季語となっています

俳句の心は相聞。相聞とは【互いに相手のようすを尋ね、消息を通わせ合うこと】であります。

「文化祭」を秋の季語としている歳時記はあるけど、「学芸会」は果たしてどうなんだろう?

「桃の実」は秋の季語です。

「春よ来い」は「待春」という季語

2011年11月↑


「や」は代表的な切字の一つですね。この「や」の後に、意味やリズムの切れ目が生まれます

俳句は一句一季語が基本

「墓参り」が秋の季語、「ビール」が夏の季語になります。「墓石」という言い方ならば季語にはなりません

17音の器に盛るのは、季語とあと一つ程度が適量


2011年10月↑


「広ぐ」は終止形なので、「広ぐる」と連体形にするのが正しいでしょう

「厄日」は秋の季語で、「二百十日」の傍題として載っています。

「夜明」という言葉に「時」「頃」の情報は入ってるので、さらに別の言葉を考えてみるのも一手です

下五「〜や」で終わる句はバランスが取りにくいのです

「雁瘡癒ゆ」が春の季語。「雁瘡(がんがさ)」という響きが怖ろしげですが、慢性の皮膚病のことです。雁の渡ってくる晩秋に発症し、雁の帰る頃には自然に治ることで、この名が生まれました

俳句とは○○であるべき!という主張も多々ありますが、私はどんな言葉を取り込んでもどんな手法を使っても、俳句という強靭な詩形はそれらの新しい試みを受け止めてくれると信じています。

「鳴き声で」→「鳴き声に」とすると散文臭が微妙に薄まります

「童子」という言い方がちょっと古臭いのが勿体無い

季語が複数入ってる句は、焦点がブレ易いということで俳句では嫌われます。季重なりを作品として成立させるのは高度な技。まずは季語一つの句からコツコツ練習していきましょう。

「小鳥」は秋の季語、そして「子鳥」は春の季語。「小」と「子」の違いを味わうこともまた、季語を楽しむ行為です。

2011年9月↑


「てふ」は「ちょう」と読んで、「〜という」の意です。

私自身は「俳句が芸術である以上、やってはいけないことは何一つない」と考えています。ただ、何をやってもいいけれどその作品が良質な詩になっているかどうか、問うべきはその一点のみだと考えています。

2011年8月↑


「半夏生」は時候の季語。夏至の日から十一日目ですから、陽暦でいうと七月三日前後のようです。半夏生草(カラスビシャク)という毒草が生える頃という意味で、こう呼ばれています

「海霧」は夏の季語。暖かい空気が冷たい親潮に冷やされて発生する霧です。

季語は「滴り」です。清水が岩肌を伝っておちる雫などのことを指します。
同じ水滴ですが、雨の雫や朝露の雫などは季語「滴り」とはなりませんので注意が必要です。

2011年7月↑


「ポッペン」って分かりますか。
細い管のくっついている丸いガラス製の笛?というべきか。
歌麿の浮世絵にも描かれている工芸品。
ポルトガル語でガラスのことを「ビードロ」といったので、この玩具もビードロと呼ばれたりもします。
実は「ビードロ」は「ギヤマン」という夏の季語の傍題ともなっています。
オランダ語がギヤマン、ポルトガル語がビードロなのだそうです。

「暮れかぬ」は春の季語「遅日」の傍題です。
「日永」という似たような季語もありますが、「遅日」は夕暮れの遅さに焦点があるところに微妙な違いがあります。
「暮れかぬる」は連体形の軽い切れ。

「涅槃西風」は「ねはんにし」と読む春の季語です。
「涅槃会(ねはんえ)」が行われる陰暦二月十五日はお釈迦様が亡くなった日。
この頃に吹く西風を、西方浄土から吹く風だとしてこんな呼び名がつきました。
今の暦でいうとお彼岸の頃。
時折、春の寒さのぶり返すこともある風です。

「斑猫(はんみょう)」は、ペルシャンブルーの模様が美しい虫です。人の歩く先へ先へと跳ぶので「みちおしえ」という傍題でも呼ばれます。

音符を降らす」でも意味は通じますが、「音符降らせる」と丁寧に述べることもできますね

「驟雨(しゅうう)」が夏の季語。にわか雨のことです

「吹きぬける」という複合動詞

「夏の水」とすれば水面、「夏の闇」とすれば空間が表現できます。

「鳥の声」では季語になりませんが「囀り(さえずり)」とすれば立派な季語

「哉」は「かな」という切字の古風な表記です。

「垂涎(すいぜん)」はヨダレのこと。

「風に揺られた木漏れ日」を表現してくれる「薫風」という季語はいかがでしょう?

「百物語」は、蝋燭を百本立て、一人が一つずつ怪談を話す度に一本ずつ吹き消していくと、百本目にはほんとうに妖怪がでてくるというオソロシイ夏の季語です。

2011年6月↑


「今日のプチ俳句講座」一音の読みの違いで、違う季語になる?
「木の芽時」は「このめどき」と読みます。
「木の芽」を「きのめ」と読む場合、山椒の木の芽のみを指すことになります。
「木の芽和え」「木の芽味噌」等の食べ物の季語(人事)となります。
木々一般の芽吹きは「このめ」と読み、植物のジャンルに入りますが、
さらに「木の芽時」「木の芽風」等の時候の季語としてアレンジされています。

歳時記は、春・夏・秋・冬・新年と五つの季節に分かれ、
各々がさらに時候・天文・地理・人事・動物・植物と六つのジャンルに分けられています。

2011年5月↑


季語を比喩として使う是非については意見の分かれるところです。

「地震」と書いて「なゐ」と読みます。

「〜の」で終わるのは座りが悪い。

冬の季語に「木の葉の時雨」という言葉があり、木の葉が散る頃の時雨の意と、木の葉が時雨のように散るさまの意と二通りありますから、「花時雨」も二通りの意味にとれるかもしれません

「麦の秋」とは麦畑一面が金色に熟したさまを表現する季語。「秋」という言葉が入ってますが、麦の収穫時は五月中旬から始まりますので、夏の季語になります。

「宵宮」は、本祭りの前夜に行う祭りで、夏の季語になっています

「桜蕊降る(さくらしべふる)」というのが晩春の季語。桜が散った後に、その蕊だけが散りしきり、地面をももいろに淡く染めます。美しい日本語ですね

今日のプチ俳句講座。厳密にいえば「春うらら」は季重なり。「麗らか」だけで春の季語になりますので、「麗らかにカゴメカゴメの孤独かな」でOKですよ。

「炎暑かな」→「炎暑なり」と断定してみるのも一手です。

「五月闇(さつきやみ)」は陰暦五月、梅雨が降るころの夜の暗さを表現する季語です。

「催花雨(さいかう)」とは【春、早く咲けと花をせきたてるように降る雨】を意味します

「妹がり行く猫(いもがりゆくねこ)」は「猫の恋」の傍題。春の繁殖期の猫です。

「祭」という季語は本来は、京都の賀茂祭すなわち「葵祭」のことを指す季語だったのですが、最近の歳時記では「葵祭(賀茂祭)」を独立した季語として立て、他の夏祭り全般を「祭」として扱うようになってきています。

俳句で「踊」「踊子」といえば盆踊りを意味するのです

「春駒」は「若駒」の傍題で、その春に生まれた馬のことをいいます。「子馬」も同じではあるのですが、語感の違いから別の季語として採録している歳時記も多いようです。

「蛙の目借時」は晩春の季語。いろんな説はありますが、一般的には蛙が人間の目を借りるので、人々はみな眠くなるのだという意味で受け止められている季語です

「牡丹焚火」は初冬の季語。牡丹の木への供養の思いを込めて、枯れ枝を集めて焚く行事です。昭和五十年代に季語として使われるようになりました。

「在る寺で」→「在る寺に」とすることで散文的なニュアンスを幾分消すことができます。助詞の選択はケースバイケース。

「春祭り」の送り仮名「り」を省略して「春祭」と表記することも可。「夕焼」「木枯」等の表記も俳句ではOKです。

今日のプチ俳句講座【上五の「に」は要注意】「春節」は中国、台湾などで祝われる旧正月ですが、上五「春節に」の「に」がやや散文的な表現になっているのが惜しい一句。この場合でしたら、「春節や」と強調して「異国の鼓手の小気味好く」とするか、「春節の異国の鼓手や小気味好し」とするかの二択でしょう。

今日のプチ俳句講座【俳句の表記】基本的には、五七五の間を空けないで、一行に縦書きするのが俳句の正しい表記です。

2011年4月↑


今日のプチ俳句講座。【三段切れ】「白雪や欠航便なりこれも良し/澄黒」←「白雪や」「欠航便なり」「これも良し」と三箇所に強い切れのある一句。三段切れは、句の流れがギクシャクするので定石としては嫌われます。この場合は、どこか一箇所を繋げるだけでOK。原句に忠実に添削すればこんな感じかな。「白雪の欠航便やこれも良し」

清明(せいめい)」は春の季語。二十四節気の一つで春分から十五日目になります。四月五日頃の清々しく明るい空気をいいます

「春を待つ」つまり「待春」という季語は、「春」の一字が入ってはおりますが、春を「待つ」ことを意味しますから、冬の季語になります

今日のプチ俳句講座。【こうすれば季語が入るよ】「来ちゃったとあっちの言葉でどう言おう/えみたむ」←外国にいる感じを出して、季語を入れる?!「来ちゃったと異国の春をどう言おう」…原句に忠実にやるとこのぐらいが限界かな。

今日のプチ俳句講座。【17音の器の許容量】「異国一人 人を待つ時間(とき) 眼に映る瞬間(とき)/ねこ」←俳句はたった17音。沢山の内容を盛り込むことはできません。基本は、季語+1〜2の情報。この句の場合なら、「異国に一人」いて「人を待」っている、という情報に季語を取り合わせるぐらいでしょう。例えばこんな具合ね!「春の風異国に一人君を待つ」

今日のプチ俳句講座は【俳句の表記について】五七五の間を空けないで横一行に書くのが正しい表記。ネット上の横書きは、泣く泣く許容しております(涙)。

2011年3月↑


リズムを整えるための小さなフィクションはOK

「朝凪や」とすれば夏の季語、「冬靄や」とすれば冬の季語

「魚?貝?海苔?若布?」この中で、季語になってるのはどれでしょう? 歳時記は楽しいよ!【答え「海苔」と「若布」が春の季語】

夢が燃え尽きる気分の季語を探す方法もあり。

「夏の雲」だと、入道雲のもくもくと育つイメージが【やる気】を連想させる
「冬の雲」だと【なかなか生活も大変だよな】という気分になる
これが【取り合わせ】という俳句の技の一つ。いろんな季語を入れて試してみてください。

「大人数を」の「を」という助詞の使い方が巧い一句です。

このサイトの選の幅は「音俳句」の可能性を探る広さだとご理解下さいな。

2011年2月↑


「初春に」の上五を「初春の」あるいは「初春や」と変えれば散文臭が減ります

俳句の約束は、有季定型。季語を入れて、五七五で、というのがルール

2011年1月↑


「芋」は俳句では里芋のことになるので、「甘藷」の「藷」と表記した方が正確でしょうかね。

「大雪」は「おおゆき」と読まれるおそれがありますので、山の名だと分かるように「大雪山」と書いてもOK。
(五七五の音数から判断し)「大雪山」と書いて「だいせつ」と読んでくれる、という慣わしが俳句の世界にはあるからです。

「蕎麦掻」「蕎麦の花」「蕎麦刈」等は季語ですが、「蕎麦」だけでは季語にはならないようです。
「新蕎麦」ぐらいは季語になっても良さそうなのにね。

「映りし」の「し」は、過去・完了を表す助詞ですから、「映りいる」という表現の方が、
今、目の前にその光景がある、というニュアンスになります。

俳句は闘病の杖。生きる日々これ全て吟行であります。

「澄し」の「し」は過去の助動詞になるので、「澄みて」とでもすれば、目の前にある物が表現できますよ。

「〜で」がやや散文的な助詞なので、ちょいと一工夫してみましょうか。例えば、一句に「・」なんぞを取り込んでの、こんなやり方はいかがでしょう?「旅宿の癒し鐘・酒・紅葉かな」

「無の境地」とあるので「悟る」の一語は不要かな。

「で」→「に」

初心の頃は「多作多捨」が修行の基本です

2010年12月↑


「多作多捨こそ俳句の修行」
「詠む」と「読む」は俳句修行の両輪。多読多感もまた然りです。

「穴まどい」は冬眠すべき穴に入ろうとしないで、ウロウロしている秋の蛇のこと

「ジャケット」「ジャケツ」等は冬の季語。「ショール」「毛皮」「外套」「コート」「マント」など服飾品は季語になっているのです

「枯葉」に対して「舞う」という動詞はやや常套的な使い方ではあります

文法的な問題ですが、完了の助動詞「り」は【四段活用の已然形、サ行変格活用の未然形にしか接続できない】ので、
下二段活用「訪れる」の場合は、もう一つの完了の助動詞「ぬ」の「訪れぬ」を使えばよいでしょう。

下五「想いけり」の替わりに、具体的に思い出したモノや人や景色を描くとより鮮明な句になります。

一句の表記ですが、書名なので「 」で括っても良いですよ。
  
江戸しぐさの知恵、「傘かしげ」(互いの傘を外側に傾け、濡れない様にすれ違う)

「方寸の器」とは、感情を納める入れ物の意味だそうですね

「吐く息の白き」は、「息白し」という冬の季語であると判断されます

「オレンジの花」は、柑橘類のオレンジの花でしょうか、それともオレンジ色の花の意でしょうか。前者だと初夏の句となりますが、後者だと無季

「哉」は「かな」という切字の表記ですが、この句の場合は中七が8音になってしまいます。ここは切字「や」を使って7音に整えるのが得策でしょう

「蛙」は春の季語ですが、食用の「牛蛙」は夏の季語

「蜂」は春の季語にして、傍題がたくさん。「女王蜂」「働き蜂」他、様々な種類の蜂が其々季語になってます

2010年11月↑


「散華」とは【花(あるいは紙製の花)をまいて仏に供養すること】です

「埴生の小屋」とは「はにゅうのこや」と読んで、粗末な小屋、みすぼらしい家を意味します

「〜や〜けり」という詠嘆の切字が重なってます。感動の焦点がブレるので「〜や〜ける」として、回避する方法もあります。

「花」は俳句の世界では春の季語「桜」を意味する語です

言葉をうまく節約しつつ、より的確な言葉を探し出し、選び取る、それが推敲の基本です。

俳句の表記は、五七五の間を空けないで一行に縦書きするのが基本です。ネット系俳壇の横書きは、泣く泣く許容するしかないですけどね

「深緑」は色彩のことですから、季語としての働きはありません。

季重なりの句を成功させるのは、ちょっと難しい技ですから、最初は季語一つの句から練習していきましょうね。

多作多捨こそ俳句の修行です!

2010年10月↑


上五に「季語ではない抽象名詞+や」を置いて、中七下五に「季語を含む12音のフレーズ」を取り合わせる型

詩人三好達治の「土」という短い詩です。「蟻が/蝶の羽をひいて行く/ああ/ヨットのやうだ」(注:/の印は、改行の位置。)

たくさんの読者にストレートに意味を伝えることも俳句にとっては重要な要素になります。

「夏神輿」。「神輿」は「祭」の傍題ですから、「夏」を外し「大神輿」とするのも一手ですね

「硯洗」とは、七夕の前の日にいつも使っている硯を洗って清める行事です。前日に洗った硯に、芋の葉などに溜まった朝露をうけて墨をすり、七夕の短冊に願いを書くのが正式なやり方になります

【○月○日という季語がある!】日付がそのまま季語になっている季語、幾つかあります。よく知られているのが「八月十五日」、終戦記念日ですね。「十二月八日」は太平洋戦争開戦記念日。新しい季語として使われそうな動きがあるのが、「九月十一日」アメリカで起こったテロの日、等。音数が多いので使うのが少々難しい季語たちでもあります

俳句では使ってはいけない言葉なんてありません。17音の詩として成立していれば、何をやったっていいんです!

「臥待月(ふしまちづき)」この季語は、中秋の名月から4日目の月。名月の夜から一日一日と月の出が遅くなってくるのですが、4日目は寝て待つ月だよ、ということでこの名前があります

「太鼓の音まつ」。「たいこのおとまつ」だと8音になるので、「たいこのねまつ」とすれば7音で読めますね。

「百物語」は夏の季語

「孫といふ神輿背負いて」。「神輿」が比喩の手法で使われているので、季語としての力はやや弱くなっています。

俳人松本たかしの作品に「金魚大鱗夕焼の空の如きあり」というのがあります。

俳句の表記は、五七五の間を空けないで、一行に縦書きするのが基本です。ネット俳壇での横書きは、泣く泣く許容するしかありません(涙〜)

「季語が動く」とは、別の季語でもOKなんじゃない?…という意味。

2010年9月↑


歳時記の中には「○月○日」というカレンダーそのままの日付が季語になっているものもあります。この句に使われている「八月十五日」は終戦記念日、また「十二月八日」は開戦記念日です。

「木下闇」が夏の季語で「こしたやみ」と読みます。「詩」を「うた」と読めば、五七五のリズムが整いますね。

「ひさかたの」は「天・空」にかかる枕詞ですが、そこから転じて「月・日・光」等にもかかるようになりました

「麦星」とは「麦熟れ星」とともに、「梅雨の星」の傍題。梅雨の頃は、ちょうど麦が黄色に熟す頃ですので、こういう呼び名が生まれたようです。

俳句を、歴史的仮名遣いで書くか、現代仮名遣いで書くかは、作者自身が決めること。その特質を勉強し、じっくり選び取りましょう。

「匂う」は、歴史的仮名遣いで書くと「匂ふ」であり、振り仮名は「にほふ」となります。

「渓谷で」の「で」が散文的な響きなので、「〜に」としてみましょう。韻文の響きに変わってきます。

「白雨」とは「夕立」のこと。普通は「白雨(はくう)」と読むのですが、江戸時代には「白雨」と書いて「ゆうだち」と読ませている句もあったようです。

上五「週末に」の「に」が、やや散文的ですので、ここは思い切って「週末や」と詠嘆の切字「や」を使ってみましょう。一句が引き締まりますよ!

【「一物仕立て」とは?】「枇杷の花それでも清く咲き誇り/つばきうめこ」←季語は「枇杷の花」、冬の季語です。この句は「枇杷の花」のことだけを詠んでいて、それ以外の内容は入ってませんね。こういう作り方を「一物仕立て」と言います。「一物」とは勿論、季語を指します。17音の内容が季語のことだけに終始しているのが、特徴です。

下五「足沈む」でもよいのですが、「沈む足」とすると、その「足」に焦点があたりますので、実感がさらに強くなりそうです。

俳句には「無季句」というジャンルもあるので、堂々と挑めば成功する場合もあります。

「小鳥鳴く」「鳥の声」だけでは季語にはなりません。この二句は鳥の鳴き声を表現したいようなので、「囀り(さえずり)」という春の季語を使うことは可能

俳句では、五七五の間に空白を空けないで一行に縦書きのするのが基本的な表記だよ。(この画面が横書きなのは、泣く泣く許容〜)

2010年8月↑


「午後を」の「を」は、その時間と空間を…というニュアンスの助詞。

「白い靴」は、「白シャツ」「白服」などと同じ夏の季語。涼しげにしてお洒落なイメージの季語です。

「はんざき」とは「山椒魚」の傍題です。

二つの季語に明確な強弱があれば、季重なりの句も成立します。ちょっと難しい技ですが。

俳句における「寂しい」「悲しい」等の感情を表す語は、諸刃の刃。巧く使いこなすのは上級者コースの技だといっても過言ではありません

「生るる」は「あるる」と読みます。

「紫陽花」のような植物の季語は、基本的には咲いている状態を指しますので、「咲く」という言葉は不要になります

「や・かな・けり」などの強い切字はすぐ前の言葉を強調し詠嘆しますが、それが二つ入ると感動の焦点がブレます。どちらか一つ外すせばOKですね

「コラボす」はサ行変格活用になりますが、「〜す」は終止形なので、ここでも切れが生じてしまい、三段切れというタブーに引っかかります。この場合は中七を「風コラボする」と連体形にすれば、問題は一挙に解決です。

上五に季語でない名詞を置き「や」で切り、中七下五で作ったワンフレーズに季語を入れるという型は中級者コースの技

季語は作者の心も表現してくれる。 「冷し」という季語は、温度を表すと同時に作者の心理も表現してくれます。春の「麗か」、夏の「暑し」、秋の「爽やか」等の季語も同様。

【俳句の基本の表記とは?】五七五の間に空白を入れないのが俳句の基本的な表記です。縦書きに一行で書くのが正しい表記です。ま、ネット俳壇での横書きは泣く泣く容認するしかないんだけどね。

2010年7月↑


「明易し」は「短夜」の傍題。夏至の頃が最も夜が短くなりますが、夜の明け易さがこの季語の本意です。

「積乱雲」は夏の入道雲のこと。「雲の峰」の傍題でもあります。

「聖五月」とは「五月」の傍題。カトリックの世界では五月を「聖母月」「マリア月」と呼ぶことから生まれた季語です。

「夏きざす」は「夏めく」の傍題。これぞ初夏という季語です。

「白シャツ、開襟シャツ」等を傍題とした「夏シャツ」という夏の季語もあります。

「アロハ」は「アロハシャツ」の傍題にして夏の季語。

上五に季語をおいて「〜や」で切り、中七下五で一つの意味を構成するフレーズを作り、尚且つ下五を「名詞止」にするのが、【取り合わせ】という技の最も基本的な型です

「や」「けり」の強い切字を一句に二つ置くことはできるだけ避けるのが定石

下五の「夫」は「つま」と読みます。勿論、夫のことですが、二音で数える場合は「つま」と読むのだと覚えておきましょう。

「帰省」実は夏の季語。夏の長期休暇を利用して故郷に帰ることをいいます

「朝凪」「夕凪」「土用凪」は夏の季語ですが、「風凪ぎる」?は誤用だと考えて下さい。

「や」「けり」は強い詠嘆を表すので、併用すると感動の焦点がブレるとして嫌われます。

「茂山(しげりやま)」「茂(しげり)」の傍題

「チューリップ」という季語には、迷いそうな音が全て入ってます。「チュ・−・リ・ッ・プ」と数えて5音。

2010年6月↑

2010年5月は未投句

養花天(ようかてん)」は「花曇」の傍題。

この句の季語は、「竜天に登る」です。【竜ハ(中略)春分ニシテ天ニ登リ、秋分ニシテ淵ニ潜ム】という中国の言葉から生まれた季語。

「オキザリス」は、カタバミの仲間。西洋種の球根は、野生種のカタバミよりもずっと大きな花を咲かせます。

「萵苣(ちしゃ)」は、玉ちしゃ(レタス、サラダ菜)の仲間です。

「かぎろひ」は「陽炎」のこと。【春の天気のよい穏やかな日に、地面から炎のような揺らめきが立ちのぼる現象】を指す季語です。

下五「穴開ける」を「開ける穴」として、「穴」そのものをクローズアップする方法もあるかな。

俳人・池田澄子さんに「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」

下五「〜居り」はちょっと硬いので、「〜かな」と詠嘆してもいいですね

「右胸へ」の「へ」は方向を示す助詞ですが、この場合は「右胸に」とした方がいいでしょう。

「遠霞」は「霞」の傍題です

「〜に」は散文的な助詞なので、この場合は「〜や」と切字で切った方が一句が締まります。

複合動詞=「叩き出し」「伸び縮み」

俳句の表記は五七五の間を空けないで一行に書くのが基本です。ほんとは縦書きなのですが、ネット上の横書きは泣く泣く許容しています。

私は「音G(@音爺さんの意)」と呼んでいます。「音爺さん@岡田」

2010年4月↑