5 ジャクソンビル3日目・4日目・5日目・6日目・帰路(2004.9.5・6・7・8)
ジャクソンビル3日目・4日目<モーテル>寝たきり
左腕が固定されて、身体の自由が利かず、痛みは四六時中続き、私は昨夜から寝たきりになった。
痛み止めの薬は5時間おきに飲み続けた。
食欲は全くなくなり、水しか飲めなくなった。
ハリケーンは<アイヴァン>と名付けられメキシコ湾からアラバマ州に上陸したらしい。
ジャクソンビルは東海岸にあり、ハリケーンのコースからかなり離れているのに相変わらず雨と風の影響を受けているらしい。
ジャクソンビル3日目・4日目<モーテル>今後のこと
娘と彼、息子が私たちの部屋で夫と今後のことを話しあったらしい。
* 予定より早く帰国する件
これはハリケーンによってジャクソンビルの国際空港が閉鎖されていて不可能らしい。
* 旅行会社との連絡
オーランドのホテルはこの後2日間泊まれることになっているが、私を車で連れていくのは無理なので、このモーテルに連泊しジャクソンビルからヒューストン経由で帰国するようにしたらしい。
ディズニーワールドもハリケーンで閉鎖しているらしい。
* 友人との連絡
夫が電話連絡をしたらしい。
私の骨折とは関係なく、ハリケーンで友人もオーランドまで来られず、二人ともとても残念がっていたらしい。
ジャクソンビル3日目・4日目<モーテル>部屋から出られない
さまざまな問題を話し合っていた時も、外は雷がなり稲妻が光り風雨が続いていた。
その上停電にもなって、私だけでなく、夫も息子も部屋から出られなくなった。
近くのスーパーも閉店になり、娘と彼は連日食べ物を持って来てくれた。
モーテルではハリケーンでサービスができないとのメモが各部屋に配られ、ジュースの差し入れが届いた。
息子は買い物に行きたいのに、外に出られず不機嫌になっているらしい。
夫もいろいろな事でだいぶ落ち込んでしまっているらしい。
結局、皆は、ハリケーンのせいでしばらくここに居るほかないとあきらめたらしい。
ジャクソンビル5日目<モーテル>入浴
外は相変わらず風雨が続いていたが、ジャクソンビル国際空港の閉鎖は解除された。
明日の帰国は予定どおり出来そうとのことだった。
娘が作ってきてくれたサンドイッチを食べ、少し動けるようになったので、今日は、シャンプーをし、バスタブにつかることにした。
私はもちろん夫に手伝ってもらうつもりでいたが、夫は娘に手伝ってもらったらと、いつもらしくない言い方をした。
夫は、これから嫁ぐ娘と私のスキンシップの時間をとろうと思ったらしいが、私は娘に聞かず、しぶっている夫にシャンプーをしてもらいバスタブで背中を流してもらった。
夫の気づかいはうれしかったが、入浴のケアは夫にしてもらって良かったと思っている。
5日ぶりの入浴でさっぱりしたが、左腕はその後69日間洗うことができなかった。
ジャクソンビル6日目<帰国・ジャクソンビル国際空港>
帰国の日がきた。
食べ物も少し食べられるようになり、比較的元気になった。でも痛み止めは相変わらず5時間おきに飲んでいた。
彼の車でジャクソンビル国際空港に着いた。
コンチネンタル航空のカウンターで搭乗券を受け取る時、夫が
「ワイフが怪我をしているので居心地のよい席にして下さい」
と言うと、カウンターの男性職員は
「我社の飛行機の座席は全てカムファタブルです」
と返事をした。
私は気分よく娘と彼に別れができ、空港の免税店で自分のTシャツを買うことも出来た。
そして搭乗手続きに向かった。
ジャクソンビルから我が家まで、夫は私の骨折部位のレントゲン写真を大事に抱えていた。
特に搭乗手続きの際、X線検査を通さないよう注意をはらっていた。
ヒューストン行きの飛行機は往路より少々大きめの100人乗り位だった。
座席の幅は来た時と同じで、私の席は2人用の窓際だった。
帰路<ジョージブッシュ国際空港>
息子は空港内のショップをあちこち見て回っていた。
私も同じようにショップをのぞいて歩き回り、夫を心配させてしまった。
結局歩きすぎで疲れてしまい、空港内を走っている電動車で私達の出発ゲートまで戻ることになってしまった。
成田行きの搭乗が始まった時、夫が
「病人扱いで先に搭乗手続きをしてもらうようにしたら」
とさかんに言ったが遠慮した。
順番通りに搭乗手続きをして無事機上の人となった。
帰路<ヒューストン発成田着・帰宅>
機内では、私の右手が通路側になる席で骨折した左手側は夫の席、その左に息子が座った。
帰路、一番辛かったのは、最初の飲み物とスナックを食べた後、非常に気分が悪くなった時で
『最悪』
と思いながら時間が過ぎるのを待った。
そのせいで、その後の食事が全然食べられなくなった。
幸い、飛行機を降りてからそれ以上悪くならなかったので、スムーズに帰宅することが出来た。
そして、家に入り椅子に腰掛けたところで、息子に私のギプスをした左腕の写真を撮ってもらった。
これが旅行の最後の写真であり、骨折の最初の写真となった。
いつも当然のように使っている<無事帰宅>という言葉を、この旅行では使うことが出来なかった。
<無事帰宅>がどんなに素晴らしいことか、身をもって体験した。