4 ジャクソンビル2日目(2004.9.4)


ジャクソンビル2日目<I HOP>


朝、娘と彼が車で向かえに来てくれた。
この日の観光予定は、ハリケーンのため変更になったとのこと。
空模様は昨日と変わらず雲はでているが時々日がさしていた。
朝食は、予定通り<I HOP>のパンケーキを食べに行った。
娘が言うには
「一人前のパンケーキの量は半端ではなく、シロップも香りの違う数種類があり、かけ放題」
とのこと。
期待しながら入った店は満席で、少々待たされた。
注文したパンケーキは娘の言うとおり、量の多さはさすがであった。
そして、トライした何種類かのシロップの香りは微妙に違っていた。
さぞかし甘いだろうと思っていたシロップは、私にとってさほど驚くほどのものではなかった。
毎日食べるのはきついかもしれないけれど、また食べたいパンケーキだった。


ジャクソンビル2日目<ホームセンター>

次に娘の案内で<ホームセンター>へ行った。
私がつねづね欲しいと思っていたペーパーホルダーが各種揃っていた。
娘はそれを見せたかったので、連れて来てくれたのだった。
私は欲しかった物があるにもかかわらず、また後で連れて来てもらえば良いと思い、購入をためらってしまった。
骨折して帰国後、手術を受けて入院した時、私は病院での生活にペーパーホルダーの必要性を再認識し、せっかく娘が案内してくれた<ホームセンター>で、ペーパーホルダーを買わなかったことをとても後悔した。


ジャクソンビル2日目<ご対面>

いよいよ、彼の家族と、ご対面の時間がせまってきた。
彼は実家に着く少し手前の商店から母親に電話をいれた。
町並みは、豊かとは言えないが古い落ち着いた平屋が続いていた。
その中の一軒にたどりついた。
そこが彼の家であった。
彼の家も、平屋で幾分古めかしく、駐車場には父親の仕事のケーブルテレビ局の大きなバンが止めてあるのが目についた。
車が止まると家の扉から彼の妹らしい女の子がこちらを覗いているのが見えた。そして、彼が家の扉を開けてくれたので私達は順に中に入り、まずお父さんと挨拶を交わした。
奥の部屋からお母さんが出てきて挨拶をし、10歳だと言う妹とも挨拶をした。
彼の両親の背丈は私達夫婦と同じ位だったが、横幅は二人とも私達を超えていた。
通されたリビングは思ったより広くはなかった。
目についたのはソファーの前にあった大型のテレビだった。
ソファーの左の窓からは庭の芝生が見えた。
ソファーに座った私達に、お母さんが
「写真を撮ってもいいか」
と聞いてきた。
私達はもちろん
「YES!」
と答えた。
彼女は嬉しそうにカメラのシャッターをおした。
その間も、妹は<タコ>という名のチワワを連れて来て私達を興味ぶかそうに観察していた。
そして、お母さんの車だという<ポンティアック>をお父さんが運転してそろって出かけることになった。


ジャクソンビル2日目<バドワイザーのビール工場>

最初は<バドワイザーのビール工場>見学に行った。
看板の出ている入り口で記念撮影をした。
工場の入り口付近では、とうもろこしのような香りが漂っていた。
この香りはホップと麦芽の香りらしかったが、私にとっては良い香りと思えなかった。
工場見学は、我々と他の人合わせて12,3人で、バドワイザーの若い女性のガイドが一人ついて工場内を案内してくれた。
夫と息子は、テレビCMのバドガールを期待していたらしく、バドワイザーのロゴ入りキャップにポロシャツとチノパン姿のガイド嬢に残念そうな様子だった。
ここもハリケーンの影響で工場の機械は動いておらず、ビールのビンやカンがベルトコンベアでぐるぐる回るのを見ることが出来なくて残念だった。
見学は30分位で終わった。
その後は、サロンのような所でゆったりしたソファーに腰掛けて休憩した。
そこでは何種類かのビールが一人2杯無料で味わえるようになっていた。
おつまみはプレッツェルの小袋が自由に食べられた。
ビールの飲めない人用には自動のジュース機もあった。
そこで我々は仕事や趣味等の話をし、楽しい時間を過ごした。
出口にはおみやげのショップがあり、私は<バドワイザービールビン型栓抜付きキーチェーン>を買った。
娘は「思ったより高級感のある落ち着いた工場だった」と私に言った。
私も同感だった。


ジャクソンビル2日目<フリーマーケット>

次は<フリーマーケット>に行った。
広い空き地に窓のないプレハブの平屋の建物が並んでいた。
中に入ると50メートル位の長さのアーケードの両側に、様々な店があり、突き当たるとその次のアーケードが折り返して並んでいた。
全部で4列のアーケードが並んでいた。
商品は、衣類、レコード・CD、食器、雑貨、なんだか分からないようなガラクタ等もあった。
ホットドッグやジュースの店もあった。
冷房がなく、ところどころに外に出られる通路があり、そこから外気がはいるだけでとても暑かった。
一軒の店で息子が、今回の旅行で彼にとって唯一の買い物となる友達へのTシャツを買った。
そのショップは感じの良いチャイニーズの衣料品店であったが、Tシャツを5枚まとめ買いしたにもかかわらず1セントも負けてくれなかった。


ジャクソンビル2日目<ジャクソンビルビーチ>

次は<ジャクソンビルビーチ>に行った。
海は大荒れで時折高波が押し寄せてきていた。
ビーチには、沢山の人がいた。
みなハリケーンの影響を眺めに集まっているようだった。
海に入っている人もいたが、パトロールの車が回ってきて注意されていた。
私達は海辺まで行ったが、裸足になって海につかったのは妹だけだった。
ビーチの砂はきめがこまかく色も白っぽい色で、浜辺がとてもきれいだった。
息子が、娘と彼をモデルにジャクソンビルビーチの素敵な写真を撮った。
この写真は、息子と娘の許可をとって、後日フォトコンテストに私の名前で出品してしまった。


ジャクソンビル2日目<ボーリング場>駐車場

次は<ボーリング場>に行った。
ボーリング場の駐車場で車を降りた後、私に
「靴下を履いているか」
とお母さんが聞いてきた。
私は
「ストッキングを履いている」
と答えると
「OK!」
とお母さんが言った。
お母さんと妹は、素足にサンダルを履いていた。
お母さんは靴下を買いに行くのだと言い、一人で車を走らせた。


ジャクソンビル2日目<ボーリング場>受付

ボーリングの受付を済ませたが、あきレーンがなくしばらく待つことになった。
彼と息子がビリヤードを始めた。
私、夫、娘はそれを見ていたが、私はなんだかとても疲れて
『眠いなあ』
と思った。
妹はあいかわらず元気に動きまわっていた。
お父さんはにこにこしながら彼女を見守っていた。
お母さんが黄緑色の派手なソックスを買って帰ってきた。
それをお母さんが履くのかと思っていたら、妹用だった。
それにしても
「何で黄緑色なの?」
と娘と首を傾げてしまった。


ジャクソンビル2日目<ボーリング場>チーム分け

レーンがあき、2レーンのチーム分けをした。
<私、娘、妹><お父さん、彼、息子>に分かれた。
夫は肩が痛いという理由で不参加。
お母さんもメンバーには入っていなかった。


ジャクソンビル2日目<ボーリング場>ボール選び

ボールを選ぶことになった。
私は指が太いので、いつも大きめの穴のものを探す。
たまたますぐそばにあったものがぴったりだった。
重さは<12>いつもは<9>
『少し重いけどいいや〜』
と思ってしまった。
後になって考えてみると、骨折した原因の一つはボールの重さであったのかもしれない。


ジャクソンビル2日目<ボーリング場>スタート

いよいよスタート。
こちらのレーンは娘が投げ終わり私の番になった。
ボールを持ち投げようとした時
『重い!』
と思った。
1歩、2歩、3歩目、ボールが
【ゴトン!】
と指から落ちた。
身体がレーンの中に吸い込まれた。
もの凄いスピードで足が滑ると言うより、両足がくるくる回るような状態になった。
バランスが崩れ倒れると思った瞬間、無意識のうちに倒れる身体をかばい左手からレーンに倒れこんだ。
途端
【グキ!】
っと、音がしたような気がし左手に激痛がはしった。
レーンの中で、起き上がろうとするのだが足が滑ってすぐに立つことも出来ない。
やっとのことで立ち上がれたのに今度はなかなか前に進めない。
恥ずかしさと痛さであせる気持ちとうらはらに、ベンチがはるか遠くに見える気がした。


ジャクソンビル2日目<ボーリング場>ベンチ

わらをもつかむ思いでベンチに座った。
娘が
「大丈夫?」
と声をかけてくれたが、痛さで返事ができなかった。
抱えていた左手を動かそうとしたが動かない。
左手を右手で胸に抱えたり、おなかに抱えたり、腿に置いたりしたが、痛みは増すばかりだ。
何とか痛みが和らがないかと、右手を使ってテーブルの上に左手を乗せた。
目は開いていられずテーブルにつっぷした。
気が遠くなるような、吐き気がするような、トイレに行きたいような(大便が出るような)気分になった。
よっぽど、娘に
『トイレに行きたい』
と言おうと思ったが、目も開けられず、話すことも、動くこともしたくなく、娘はどこに居るのかと思いつつ、我慢をした。
このまま気を失うかもしれないと思った。
その時、ざわざわと人の声がし
「お母さん、これから病院にいくよ」
と娘の声が聞こえた。
娘に抱えられるようにして、車に向かった。
その時、外は雨が降っていたような気がした。


ジャクソンビル2日目<休日診療病院>待合室

何がなんだか分からないうちに、病院の車椅子に乗っていた。
待合室に入ったのは分かったがその後のことは痛さで覚えていない。
何か冷たい物が左手にのせられたので気が付いた。
目を開けて見たら、シップだった。
そばに息子が、向かい側にお母さんがいた。
息子が
「痛い?」
と聞いてきた。
私は、目をつぶったままうなずいた。
左手が冷たすぎて、ハンカチが欲しくなった。
息子にハンカチを出してもらい、シップの下にあてたような気がしたが、その後また分からなくなった。


ジャクソンビル2日目<休日診療病院>診察室

車椅子が動き出した。
目を開けると、彼が車椅子を押し娘がそばに居た。
彼らと共に、やっと診察室に入ることが出来た。
ドクターの質問(どうしたのか)に、娘と彼が私の代わりに説明をしてくれた。
カルテの記入が終わり、娘を通じて
「これからレントゲンを撮る」
と言われた。


ジャクソンビル2日目<休日診療病院>レントゲン室

すぐ女性の看護師が来て、レントゲン室に車椅子のまま運ばれた。
左手を診察台の上に乗せるように言われたが、痛くて動かせないまましかめっ面をすると、彼女は手伝ってくれながら
「リラックス、リラックス」
と励ましてくれた。
彼女は、何枚か写真を撮った後、洗面台でタオルを濡らして
「これを使いなさい」
と渡してくれた。
その時、彼女は私にいろいろ話しかけてくれた。
残念ながら話の内容は想像でしか訳せないが
「私の家族はわがままで、何でも私にやってくれって言うのよ。あなたは、優等生ね」
というようなことを言いながら、私を落ち着かせてくれた。


ジャクソンビル2日目<休日診療病院>診察室(処置室?)

レントゲン室を出ると看護師が別の診察室(処置室?)に車椅子で運んでくれた。
そこには娘と彼が待っていた。
娘がナーバスになって彼が優しく慰めているような雰囲気がただよっていた。
看護師が出て行きしばらくすると、診察衣を着たドクターが来て
「骨が折れている」「手術はここではできない」
と娘を通じて聞かされた。
この時
『やっぱり』
と思った。
そして、手術と聞いて不安を感じたが
『この痛さを何とかして欲しい』
との思いのほうが勝っていた。
ドクターは問診表(病歴や体質について)に従っていろいろ質問してきた。
ほとんど娘が私に代わって答えていたが
「たばことお酒は飲むか?」
の質問には娘より早く
「NO!」
と私が答えた。
問診が終わりドクターは出て行った。


ジャクソンビル2日目<休日診療病院>静脈注射

少しすると、すごく太った女性の看護師が薬品を乗せたワゴンを押してきた。
そして、診察台にどっかと腰をおろした。
私がそこに寝かされると思っていたが
「車椅子から移動するのは辛そうだからそのままで処置をする」
と娘を通じて説明された。
そして、痛み止めの静脈注射をされた。
うそのように痛みが薄れ、頭がもうろうとして眠くなった。


ジャクソンビル2日目<休日診療病院>ギプス

その後、男性の看護師が患部にシップらしきものをあて包帯を巻いた。
そして、左の二の腕から手のひらまでを上側と下側からギプスのようなもので挟むようにして、伸縮性のある包帯でぐるぐる巻きに固定した。
さらに、左腕をつるす肩から掛けるもの(日本では三角巾)を私のサイズに合わせてセットした。
しかしこれらのことは夢うつつで、はっきりとは覚えていない。
また、これらの処置用品は、帰国後入院した病院では見かけなかったし、特に三角巾のようなものは清潔で機能的でかっこの良いものだった。


ジャクソンビル2日目<モーテルに帰る>

処置は済んだが、支払いについては大変だったらしい。
結果として、当日のキャッシュの支払いはなく、クレジットカード会社の海外旅行保険の適用になった。
病院の出口から誰かに支えられ車に乗って彼の家に帰ってきたのだが、この辺のことは痛み止めの注射のために覚えていない。
薬が効いたのか痛みはほとんど感じず、夢うつつのまま気がついたら、彼の家のソファーで寝ていた。
お父さんが、ソファーをリクライニングに倒してくれた時、皆がサンドイッチを食べているような雰囲気と、テレビの音がしていた。
娘と彼が病院の処方箋で痛み止めを買って来てくれたので、モーテルに帰ることになった。
車に乗った時、彼が、やさしくシートベルトを締めてくれたのは覚えているが、モーテルに着きどのようにベッドに寝たかは、あまり覚えていない。
この日は生まれて初めて骨折するという、大変な1日になってしまった。