34919.一匹を二人で分かち三馬食ぶ 返信 引用

名前:有亭 日付:2011/10/4(火) 7:15
先生皆様おはようございます。宜しくお願いいたします。
薫子さんもおっしゃっていましたが我が家でもサンマは一匹を半分ずつして食べました。

昨日の句:自分ではいいかな?(いつも自信がないのです)
と思ったのですが言葉がそぐわなかったようです。
添削句いただきました。ありがとうございます。
http://www.geocities.jp/yattiy0905/


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34928.Re: 一匹を二人で分かち三馬食ぶ
名前:kou 日付:2011/10/4(火) 9:39
 有亭さん、おはようございます^−^
 このまま戻しますか。
 「さんま」を東京では「三馬」と書くのですか?
 「秋刀魚」か「さんま」ではないのですか?
 人をおちょくっているのですか?と言いたくなります。
 俳句を貼ったなら、少なくとも一度は読み返してみてください。
 「三馬」とも書くのかと思い、歳時記の持っているもの全て。
 辞書の全てをみました。
 「秋の刀のように青光りする魚」で「秋刀魚」であり、
 たとえ「三馬」があったとしても、面白くも、可笑しくもありません。
 差し戻します。
 訂正して再度、貼ってください。


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34943.Re: 一匹を二人で分かち三馬食ぶ
名前:有亭 日付:2011/10/4(火) 16:53
申し訳ありません削除お願いいたします。
http://www.geocities.jp/yattiy0905/

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34949.Re: 一匹を二人で分かち秋刀魚食ぶ
名前:kou 日付:2011/10/4(火) 18:59
 有亭さん、こんばんは^−^
 書かせるだけ書かせて削除ですか><

 「三馬」を「秋刀魚」に書き換えて下さればいいのに。

・一匹を二人で分かち秋刀魚食ぶ
  いいですね。夫婦愛を感じます。
  佳吟です。


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34952.Re: 一匹を二人で分かち三馬食ぶ
名前:有亭 日付:2011/10/4(火) 19:41
先生句評ありがとうございます。
削除の件申し分けありませんでした。
実は「三馬」についてですが昔夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んだ時
「三馬」がでてきたような気がしてそれが頭に引っかかっていたので
文庫本(昭和49年10月)をさがして見て見ると最初の3頁めにしっかりのっていました。
でも当て字かもしてないとネットで調べたのですがよくわからず図書館に行って調べました。
角川書店の「角川古語大辭典第二巻き〜さ」(中村幸彦, 岡見正雄, 阪倉篤義編)
に載っていました。季語も秋となっていました。それで使ってみたのです。
けっしておちょくっているわけではなかったのですが。
<でもたとえ「三馬」があったとしても、面白くも、可笑しくもありません>
と言われたら没にするほかないと思いました。
http://www.geocities.jp/yattiy0905/

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34957.Re: 一匹を二人で分かち三馬食ぶ
名前:kou 日付:2011/10/4(火) 21:41
 有亭さん、漱石の「猫」からでしたか。
 kouも何度か読んでいながら、思い至りませんでした。
 漱石は新しい言葉を作りだす名人でもあります。
 確かに「猫」では「此間(このあいだ)おさんの三馬を偸んで此返報をしてやった〜」と使っています。
 「野分」でも「露天の三馬は光る程に色が寒い〜」と使っています。
 ただ、「昭和40年発行・漱石全集」では、「三馬は秋刀魚である」と、わざわざ注釈をつけてある。

 漱石の俳句は子規の最高の弟子であった。俳句は明治22より、大正
5年までの間にたくさんの俳句を作っています。
 しかし、「三馬」などと使った俳句は1句もない。(秋刀魚もない)
どの俳句も、正字を書き、骨格の正しい俳句で、言葉遣いも実に正しい使い方をしており、俳句の手本にしたいような俳句ばかりです。

 漱石の「猫」は、それまでに「ユーモア文学」がないことに気付いた
こともあり書かれた作品であり、「三馬」などと言う造語を拵えたのだと思います。

 俳句は言葉を正すという役目も担っています。
 漱石が使っていようとも、鴎外が使っていようとも、やはり「秋刀魚」と使うべきと、kouは思います。
 古語辞典にもとられているそうですが、これも、漱石の「猫」「野分」からとったものだと思われます。
 
 これも何回も言ってきたことですが、「広辞苑」に無いものは、
言いかえるという新聞社の基本を踏まえたいものと思います。