2005年9月16日


<ロボスレイル>での2回目の朝食は、夫と2人でテーブルに着いた。
スタッフがサービスにきた卵料理を、夫はオーダーしたが私はパスした。
それからビュッフェの食材をチョイスして、慌しく朝食を済ませた。
この日はハイキングの日であった。
食事を終え部屋に戻って出かける仕度をしていると、列車は荒原の真只中に止まった。
私と夫がオブザベーションカーに行くと、もう参加者は列車から下りていた。
結局私が最後に列車を下りた。
列車は私達を下ろすと出発し、次の駅で待っていることになっていた。
参加者は13人、スタッフは先頭に1人、最後部に2人、携帯電話持参で私達を誘導した。
タフで好奇心旺盛なYさんも元気に参加した。
ひんやりした空気の中、朝日を浴びてアフリカの大地を歩き始めた。

アフリカの大地

荒原の中、線路に沿ってアップダウンのある道を約1時間半、私と夫とYさんは多肉植物の紫色の花やオレンジ色のバッタを見たりおしゃべりしながらスタッフと共に最後尾を歩いた。
列車が停車している<マジェスフォンテン駅>に着くと、出発まで時間があるのでYさんと別れ、私と夫は駅の周辺を散策した。
線路伝いには花壇があり日本では見かけない鮮やかな色の花が咲いていた。
駅前は古い町並みになっていて、その一軒にはクラシックカーが何台も展示されていた。
そしてそこにいた女性はボンネットの白い帽子に昔風の服装をしていた。
彼女は私達に笑顔で挨拶した。
数件先には<The Old Post Office Wine & Gift Shoppe>の看板があり、入ってみると普通のギフトショップであった。
そこで私は木彫りのお面のキーチェーンを、娘と夫はダチョウの羽のはたきを買った。
駅の構内には<MARIE RAWDON MUSEUM>があり、ビクトリア朝の品物が展示されていた。
ガラスケースに置いてある品々の保管状態は非常に悪かった。
芳名帳があったので私の名前を記帳した。
プラットホームを下り、線路を横切って停車している列車に戻った。



マジェスフォンテン駅


停車中のロボスレイル

オブザベーションカーに入ると客の姿はなく、デッキでは娘と息子が飲物を飲んで休んでいた。
私と夫も飲物をオーダーしてデッキで一休みした。
ハイキングをした人達も駅周辺を散策して三三五五列車に戻ってきた。
私達は列車が動き出すまでデッキで、ハイキングのようすを話しながら過ごした。
列車は動きだしデッキにいた私達にyさんが、この後列車はトンネルを3つ通ることを教えてくれた。
夫・娘・息子はそれぞれ部屋に戻った。
私はしばらくデッキの最後部の手すりに陣取り、そこから眺めるアフリカの大地に吸い込まれそうな気持ちになって身を委ねていた。
それは最高に気持ちの良い時間だった。
トンネルは30分位の間に3箇所を通過した。

通過した3箇所のトンネル

1時になり<ロボスレイル>での最後の昼食のためダイニングカーに向かった。
いつものように、私・夫・Yさんでテーブルに着き美味しい昼食を済ませた。
Yさんにトンネルの話しをすると、Yさんは英語の<CAPE TOWN ITINERARY>でトンネルの情報を得ていた。
この時は話がはずみ、最後までダイニングカーにいたのは私達であった。
部屋に戻り荷物の整理をして、私はビデオとカメラを持って再びオブザベーションカーに向かった。
オブザベーションカーには、何人かの乗客に混じって娘が読書をしてソファーに座っていた。
娘のそばに行きしばらくおしゃべりをした後、私はデッキに行きビデオのスイッチを入れた。
線路際には白いカラーの花や紫のヒースのような花が雑草のように咲いていた。
圧巻だったのは菜の花の黄色い畑が見えた時だった。
yさんから、油を採るための菜の花であることを聞いた。
それにしても、すばらしい黄色いじゅうたんであった。
ワインで有名な<PAARL>地方を通過する時は、ぶどう棚の畑が線路の両側に広がっていた。
yさんから、ケーキタイムのケーキがメインテーブルに置かれた事を知らされた。
私は娘を誘ってメインテーブルに行きケーキをいただいたが、娘はケーキを見ただけだった。
列車はケープタウンに近づき、線路際に家並みが現れてきた。
しかし、見るからに貧しい建物に心が痛んだ。
でもそこに住んでいる人達が、特に子供達が、私達が乗っている列車に向かって笑顔で大きく手を振ってくれた。
もちろん私達も笑顔で手を振った。
<ロボスレイル>は終着駅のケープタウン駅に到着した。
私達はホームで<ロボスレイル>のスタッフと別れの挨拶をして駅の改札に進んだ。
そこには、今夜<ロボスレイル>の乗客達の宿泊するホテルのスタッフがホテルのネームカードを持って待っていた。
私達のホテルは<マウントネルソンホテル>で、スタッフは白人の大柄な男性だった。
彼の後について構内を出ると、駅前には各ホテルの送迎車が止まっていた。
私達のホテルの送迎車の所へ行くと、私達のスーツケースは<ロボスレイル>のスタッフによって素早く積込まれていた。
各ホテルに向かって出発する送迎車を<ロボスレイル>のスタッフは一列に並んで見送ってくれた。
<ロボスレイル>は最後の最後まで、私達を優雅な気持ちにさせてくれた。
<ロボスレイル>に乗ることは、夫の希望であった。
事前調査をしていくうちに、夫だけではなく、私達も<ロボスレイル>の魅力に取付かれてしまった。
今回<ロボスレイル>に乗車できて、家族全員大満足であった。
ちなみに、Yさんも初めての乗車でとても喜んでいたのが印象的だった。
<マウントネルソンホテル>は入り口の大きな門からエントランスまでの距離が100メートルは有にあった気がした。



マウントネルソンホテル(ケープタウン)

エントランスのレセプションデスクは、こぢんまりとしていて狭いとも思えるところだった。
Yさんがチェックインをする間、中に入ると落ち着いた内装の広いロビーにつながっていた。
庭に面したところは温室のような作りでランの花があちこちに配置されていた。
しかし宿泊客が沢山いてざわざわしていた。
私達はロビーの椅子に腰掛けて待っていた。
するとホテルのメイドが飲物のオーダーを取りに来た。
私と夫は有料のオーダーであろうと思い
No Thank you
と答えた。
しかし娘と息子は飲物をオーダーしてしまい、有料だったため、Yさんにお手数をかけてしまった。
チェックインを済ませ部屋に向かう途中、ボーイが夕食のレストランを案内してくれた。
その時、レストランの隣の<Garden Room>と言う所でパーティーをしている人達がいて非常に騒がしかった。
私はこの時このホテルを選んだことを少し後悔してしまった。
通された部屋は天井も高く贅沢な作りで<ビクトリアフォールズホテル>や<シェラトンプレトリアホテル&タワーズ>の5倍の広さはあると思われた。
娘たちの部屋も、Yさんの部屋も、同じように広くて贅沢なつくりであった。
夕食の時間になりドレスアップをして<マウントネルソンホテル>内のレストラン<CAPE COLONY>へ向かった。
CAPE COLONY>の入り口はとても狭かったが、一歩足を踏入れたとたん華やかさのある素晴らしい空間の大ホールになっていた。
ピアノの生演奏が聞こえ、ドレスアップをした沢山の人達が食事を楽しんでいた。
私達が通されたテーブルは、直径2メートルはありそうな丸いテーブルで真っ白なテーブルクロスがかかっていた。
ここで、夫はYさんと相談の結果10万円のワインを1本オーダーした。
食事は今までと少し違う味つけや盛り付けで、器もモダンであった。
デザートは盛り付けが奇抜で、どのように食べたらよいのか考えてしまうほどだった。
お味は私にとって苦手なものもあったが、それを除けば美味しくいただくことができた。
10万円のワインに対する夫の感想は
「バランスの良いワイン」
とのことだった。
食事が終わり娘と息子は部屋に戻っていったが、私・夫・Yさんはいつものようにおしゃべりをしていた。
すると、私の左奥のテーブルで、1人で食事をしていた白人の老婦人が私に歩み寄り
「英語が話せますか」
と聞いてきた。
私は、夫もYさんもいたので
「すこしは話せます」
と言うと、
「あなたの食事のマナーは日本のお茶のセレモニーを見ているようでステキでした」
と言われた。
私は
Thank you very much
と答えたが、とても恥ずかしかった。
なぜなら、去年9月左手首を骨折したため、フォークを使うのに左手では自信がなく、すぐ右手に持ち替え、左手は常にテーブルのお皿のそばにおいて食事をしていた。
私は、きつねにつままれたような気分と照れくささの入り混じった感じで苦笑いをしてしまった。
部屋に戻るため、その老婦人に会釈をし、明日の朝食時間を確認してYさんと別れた。
Garden Room>でのパーティーの騒がしい声が私達の部屋まで聞こえたが、私はすぐに熟睡してしまった。