45395.花楓コロボックルの居る気配 返信 引用

名前:有亭 日付:2013/4/30(火) 7:30
先生皆様おはようございます。宜しくお願いいたします。
楓の新緑が綺麗ですが良く見ると小さい花が咲いています。
タケコプターのような実は今にも飛んでいきそうです。
コロボックルはこんな所に居そうな気配がします。

句写美67号4月29日に届きました。ありがとうございます。
句会は先生おひとりが大変な作業です。
少しの間違いがあっても何ら不思議ではありません。
講評も私にとってはありがたいことです。
句会は続けて欲しいと思います。

4月26日の質問に丁寧な解説ありがとうございました。
<「春うらら」は立派な季語ですね。>とありましたが私の歳時記に載っていません。
「春」と「うらら」の季重なりではないのでしょうか。
<「〜かよふ夫婦箸」は、夫婦で何度も筍の煮物に箸が何度も行っている状態ですね。>
先生に解説していただきよくわかりました。
「通う」をこのように使うことがなかったので勉強になりました。
ありがとうございました。


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45402.Re: 花楓コロボックルの居る気配
名前:鴻風 日付:2013/4/30(火) 8:39
 有亭さん、おはようございます^−^
 「句写美・67号」届きましたね。

 「句会」ですが、作業よりもほかのことで落ち込んでいます^^
 編集後記読んでくださいましたか^^

 「春麗」は季重なりではないか?というご質問ですが、
 「無い」が正解でしょうね。
 「春」と言う言葉と「麗(うらら)」と言う言葉とは、その性質が違います。
 ただ、「山麗」「野麗」「河麗」などと使いますので、「春麗」と使ったとしても、間違いとは断言はできないと思います。
 「麗」は「春」にだけ使う言葉であり、その意味では「春麗」は「季重り」は正解でしょう。
 これでよろしいでしょうか。

 俳句ですが、
 コロポックルは「蕗の下に住む人」となっていて、「花楓」とは結びつきません。
 したがって、説明の「コロボックルはこんな所に居そうな気配がします。」
 には、あてはまらず、間違えと言えるでしょう。
 ただ、俳句としては
 「花楓」で切れますのでここで話が切れて、
 「コロボックルの居る気配」で全く別な次元のことなのです。
 したがって、この句は有亭さんの作者の気持ちとは全く別な
 俳句となっていて、秀吟なんです。
 わかっていただけますか?
 有亭さんの「花楓=コロポックル」では俳句はなりたたない。
 だが、
 「花楓」×「コロポックル」では立派な俳句。
 このあたりを理解できますでしょうか。
 もういちど言います。(言ってないかな^^)
 秀吟です。
 作者がわからなければ、どうにもならなあい句です。><