40101.凝視せり弥勒菩薩の両素足 返信 引用
名前:有亭 日付:2012/5/15(火) 6:59
先生皆様おはようございます。よろしくお願いいたします。
4月の末に
『「東京国立博物館140周年 特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」』
に一人で行ってきました。
展示物は六つのブースに分かれていました。
その一は「仏のかたち神のすがた」仏画・仏像のコレクションです。
仏画はあまり興味がなく音声ガイドを聞きながし足早に移動です。
足が止まったのは弥勒菩薩立像(快慶作)の前です。
目の前に迫る足はしっかりと地に付いているのですが柔らかそうな感じを受けました。
指も細くしなやかで体の線もゆったりとなだらかで顔は見る場所によって微笑んでいるようにも見えました。
1メートルに満たない大きさでしたが頭の先から足の指先までズドーンと胸を打たれました。
清和なり弥勒菩薩の笑み受くる
つづく
昨日の句
報告句からなかなか抜け出せません。
添削句いただいてアップいたしました。ありがとうございます。
http://shashin-haiku.jp/blog/187
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40109.Re: 凝視せり弥勒菩薩の両素足
名前:鴻風 日付:2012/5/15(火) 9:31
有亭さん、おはようございます^−^
kouは先日「国宝の土偶展」を見てきましたが、
土偶や仏像などは何にすがって先人は生きていたかがわかり、
絵画とは違った楽しさがありますね。
俳句ですが、
・凝視せり弥勒菩薩の両素足
この句「凝視せり」は眼を。「両素足」は足を。
と、焦点が二分されています。
どっちつかずになっていますね。
眼なら眼を。
足なら足だけ詠んだ方が人に訴える力が違ってくるものです。
推敲してみてください。
・清和なり弥勒菩薩の笑み受くる
歳時記などには、「清静温和の略」で「夏」の季語と書いてありますが、
「清和//清和節」は本来「農暦(陰暦)四月一日」のことを言います。
今年の場合、この清和の日は今月21日で、ちょっと早い気がするのです。
また、本来は「清和の天」とか「清和の月」などと下に天文に関する言葉が来るのが普通です。
「清和なり」と切り離して使って悪いこともありませんが、
「清和なる弥勒菩薩」とすべきでしょう。
こうして、佳吟です。
40126.いとほしき弥勒菩薩の両素足 返信 引用
名前:有亭 日付:2012/5/15(火) 16:15
先生ありがとうございます。推敲しました。
現句:凝視せり弥勒菩薩の両素足
推敲句:いとほしき弥勒菩薩の両素足
よろしくお願いいたします。
「清和」についての解説ありがとうございます。歳時記に載っているまま使ってしまいました。
深い意味があったのですね。ありがとうございました。
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40128.Re: いとほしき弥勒菩薩の両素足
名前:鴻風 日付:2012/5/15(火) 16:42
有亭さん、推敲されましたね^^
現句:凝視せり弥勒菩薩の両素足
推敲句:いとほしき弥勒菩薩の両素足
いいですね。「素足」が季語ですからね。
ただ、この句の場合の「素足」は季語となるかと言うと、ちょっと、
疑問も残りますね。
佳吟です。
>>薫風や弥勒菩薩の御足美し
「両素足」がどうも気になります。
座五を「みあし・はし」としてみました。
美しい足ですことと有亭さんの気持ちを汲んでみました。
また、季語を「薫風や」として「弥勒菩薩」に添えてみました。