「夫の定年退職サプライズパーティー顛末記」
夫は平成20年12月31日をもって32年間勤めた職場を定年退職した。
夫の希望で最後の出勤日は12月19日とし無事退職と相成った。
夫は7月頃から「あと定年まで何日」のカウントダウンを始めた。
それをみて私は年末に夫が喜ぶ事を企画して32年間の労をねぎらおうと思った。
娘と息子に相談するともちろん二人とも大賛成!
そしてそれらは夫に内緒で秘密に進めることが決まった。
夫が最高に喜ぶ事はなにか?
私が小綺麗になること!
それはさておき・・・
まず孫娘に会うことが今の夫にとって最高の幸せな事は言うまでもない!
それと娘や息子の友人が来た時に一緒に飲んでしゃべって楽しむ事。
これも夫にとって幸せなことである。
それを叶えてあげようと準備を始めた。
まずフロリダのジャクソンビルに住んでいる娘夫婦と孫娘を日本に呼び寄せること。
しかしこの時点で夫の年末のスケジュールははっきり決まっておらず退職日の12月31日だけが分かっていた。
とりあえず来日は年末年始にかけてということになったが航空券の手配のため9月ごろまでにはっきりした最終勤務日を聞くことが私の役目になった。
あまりしつこく聞くと怪しまれそうで何気なく時々退職日を聞いてみた。
その後最終勤務日が12月19日ということを夫から聞きかされた。
早速娘に連絡を取り12月20日から年末年始の間が来日予定となった。
このころ夫は年末年始に娘に会いに行かないかと私を誘い始めた。
『行かなくても来ます』と言いたいのをがまんして誘いを断る理由をさがした。
私はちょうど仕事の同僚が来年の3月で退職が決まっていて1月頃に交代要員が入るので「忙しくてだめ」と夫に答えた。
(これは半分本当で半分は嘘である)
夫はがっかりした様子で肩を落とした。
9月に入ってから娘達の航空券の購入などの計画が始まった。
来日日程は娘夫婦の仕事の関係で12月27日から1月6日までとなった。
ここでトラブル発生。
航空券代は息子のクレジットカードで支払うことになったのだが請求書は夫宛てに来る。
見れば一目瞭然!航空券代と分かってしまう!
それを夫に知られない為にはどうするか?
そこで息子は請求書が来る前に「今月は知られたくない買い物をしたので請求書を自分に渡してください」と夫に言った。
夫は何の疑いもなく了解して一見落着した。
娘とは1週間に2,3回ウェブカメラで会話をしている。
夫と一緒にパソコンの前に座る時娘と私はお互いに口が滑らないように細心の注意を払った。
私との渡米を諦めた夫は娘に年末年始を日本に来るようにと盛んに誘うようになった。
こんどは娘が断る理由を考える番である。
娘は夫婦の仕事の都合で「休暇が取れない」とそっけなく夫をあしらった。
私は娘のお芝居に心の中で手を叩いていた。
夫はと言うとがっくりと肩を落として寂しそうだった。
また夫は一人で孫娘に会いに行ってこようかな等と言いだした。
私と娘は思いがけない夫の言葉にびっくりした。
しかし、以前からの予定で来年の5月には娘のところに行くことが決まっているので
私と娘はそれを持ち出してもったいない時間とお金の使い方はしないようにと
あわてて夫を説得した。
11月に入り夫の決定したスケジュールが知らされた。
定年退職日は予定通りの12月31日。
夫の希望で最後の出勤日は12月19日となった。
12月に入り夫のカウントダウンも佳境に入る日々我が家の12月の公のスケジュールを私と夫と息子で決めた。
12月19日退職日は私と夫の2人で自宅ででささやかに祝う(息子は仕事のため)
12月20日息子と義父と4人で自宅で祝う。
12月21日から24日まで夫は鹿嶋の家に行く(鹿嶋に夫の両親が建てた小さな家があり別荘として家族で使用している)
12月24日夫は自宅にもどり私と息子と3人でクリスマスイブを祝う(我が家はクリスチャンではなく浄土宗である)
12月26日夫は娘の為に送金手続きをする(娘との約束)
12月27日義父の囲碁教室最後の日なので義父は我が家に泊まっていく(義父にもこの計画は内緒にしている)
12月29日から30日再び夫は鹿嶋の家に行く(鹿嶋は魚や野菜が安くて新鮮なので正月用に夫は毎年買い出しに行っている)
12月31日から1月1日は息子の友人が遊びに来る。
これがカレンダーに書かれたスケジュールだった。
一方サプライズの計画は着々と進められていた。
12月1日
私は娘と息子のそれぞれの友人20名のメールアドレスを聞いて
「夫の定年退職を祝うサプライズパーティー(12月28日)のお誘い」のメールを送った。
これは夫への一言メーセージを貰いパーティーへの参加を呼びかけるものである。
メールの内容
我が家ゆかりの皆様へ
「夫の定年退職を祝うサプライズ会」実行委員長です。
ちなみに副委員長は娘と息子です。
我が愛する夫は平成20年12月31日をもって32年5か月務めた職場を定年退職することになりました。
それに伴い夫に内緒でサプライズパーティーを予定しています。
日時:平成20年12月28日(日曜日)朝から夜まで
お忙しいと思いますが是非我が家にお越しください。
"申し訳ございませんが出欠席のお返事を12月10日までにお知らせください"
尚厚かましいお願いで恐縮ですが12月27日までに一言メッセージをこちらのアドレスにお送りください。
(このメールを読んだ方は必須です!)
また当日来られない方もメッセージは必須です!
以上宜しくお願いいたします。
重ねてのお願いですがくれぐれも夫には内緒にしていただくようお願いいたします。
追伸
恒例の「年末年始を我が家で過ごす会」も行います。
こちらも是非皆様お誘いあわせのほどお越しくださいませ。
よろしければ出欠席もお知らせください。
毎年異常に盛り上がり楽しい年越しをしております。
今年も是非皆様のご協力で盛り上がりたいと思いますので宜しくお願いいたします。
反応はすぐに現れ、海外や地方に住んでいる友人からもメールの返事が次々と届きうれしくなってウキウキしてきた。
娘はアメリカで売っているサプライズパーティー用の紙皿や紙コップ、おつまみやスナック、便せんと封筒等を買い求め始めた。
夫と私と娘でのウェブカメラの時私と娘は夫に絶対分からないようにとお互いの言動にビクビクしながら会話をした。
12月12日
娘の夫は結婚当初よりだいぶ太めになったため娘のベッドでは娘と一緒に寝られないと想像して上下布団セットを購入。
これも夫に内緒で夫の帰宅の遅い12日に息子と買い物に行った。
布団は娘の部屋に置いたが夫はめったに娘の部屋に入らないので大丈夫だろうと息子と決定した。
布団干しは夫のいない昼間にできるのでこれは安心である。
12月15日
娘たちが日本につく日の娘たちの夕食はバスが到着する聖跡桜ケ丘の京王ストア及び京王デパートで済ませる予定になっていた。
その為マックカード、クオカード、京王の商品券を郵送した。
12月17日
現在我が家は消費電力が40アンペアで冬など時々ブレーカーが落ちることがあった。
娘たちのために60アンペアの切り替えを頼んだ。
これも夫に内緒で東京電力の11月請求書が来たあとの17日の昼の工事を頼んだ。
12月18日
私は27日の記念すべき瞬間を録画したいと思った。
ドンキホーテで小さいDVDムービーカメラが安く売っていたので買うつもりで息子に相談すると
「家にいいDVDムービーカメラがあるのだから買う必要はない!」
と一喝された。
それは夫が保管しているので借りる理由を考えなければならなかった。
息子から「年末年始に使う」と言えばいいとのアドバイスを受けそのように夫に言うと疑いもなく貸してくれた。
このころ息子は夫が孫娘のことを考えないようにするため年末年始の事に気をそらせようとして盛んに友達情報を夫にふきこんでいた。
12月19日
夫の最後の勤務日である。
いつも通りの朝を迎え幾分緊張ぎみに出勤していった。
私は美容院に行き夫の帰りを待った。
夫は嬉しそうに帰宅した。
夕食を食べながら二人が健康でこの日を迎えられたことの喜こびを分かち合った。
12月20日
義父、息子からのお祝いの酒を飲み夫は親子三代で過ごせるこの時を十分楽しんでいるようだった。
12月21日
夫は鹿嶋に出かけることになっていた。
前回娘と私だけのウェブカメラの時娘は12月24日から26日は旅行の準備で忙しくなりウェブカメラでの連絡が取れなくなる可能性があると言った。
それを夫に怪しまれないようにする為には娘が理由をつけて夫が鹿嶋に行く前の朝に連絡する事になった。
21日の朝予定通り娘は夫に
「クリスマスは義父の親戚のマイアミに行くのでしばらく連絡が取れない」
と夫に偽りの報告をした。
夫は寂しそうにしたが仕方がないとあきらめ鹿嶋に出かけて行った。
12月22日
孫娘のチャイルドシートのレンタル手続きをした。
夫が鹿嶋に行っている22日に息子が引き取りに行きこれも夫に内緒で娘の部屋に隠した。
私は夫のいない日にDVDムービーカメラの練習をした。
12月24日
孫娘は2歳と4か月になるがまだおむつが外せない。
我が家に来るとおむつを捨てるごみ袋が必要になる。
市役所(出張所)で無料でもらえるおむつ用ごみ袋を調達しこれも夫に内緒で隠した。
夫は孫娘と一緒にお風呂に入ることを楽しみにしている。
娘が結婚後初めて里帰りで帰国した時は3か月の孫娘と毎日お風呂に入っていた。
今回はお風呂で一緒に遊べるようなのでお風呂マットも新しいものを購入してこれも夫に内緒で隠した。
私と娘は当日の行動予定などメールで連絡を取り合い着々と準備を進めた。
マイアミ行きの嘘を確実にするため娘は夫にメールをすることにした。
夫は予定通り鹿嶋から戻った。
12月25日
予定では26日になっていた送金手続きを夫は25日にした。
夫は娘に電話をして報告をしたいと言い出した。
私は夫にそれとなく娘からのメールを確認するように言ったが無視されて少々あせった。
そしてマイアミにいても電話は通じるからと娘の夫に電話をかけ始めた。
私はあせって夫が電話をしたのと同時に娘に「電話をとらないように」とメールをしたがすでに電話は通じてしまい夫は娘の夫と話を始めた。
私はドキドキしながら話を聞いていたが夫は娘がでたので私に電話を替わるようにと受話器を渡して来た。
私は受話器の向こうの娘に「忙しいからまたね」とだけ言って夫に受話器を返した。
このときほど心臓がバクバクしたことはなかった。
その後夫はメールを確認しそれを信用してこれからしばらくウェブカメラが出来ないと言って残念そうに私に報告した。
私はいまさらと思いながらさきほどの電話がばれなかった事に胸をなで下ろした。
このとき夫は何の疑いもなく娘たちがマイアミに居ると思っていたらしい。
12月26日
娘からメールが来た。
昨日の電話で一番あぶなかったのはお母さんだったと書いてあった。
自分でもそうとうパニックになっていた事は自覚していた。
12月27日
娘達は12月26日午前8時27分発でジャクソンビルを飛び立った。
成田にはよく27日午後3時40分着、聖跡桜ケ丘行きのバスは成田発午後5時5分、聖跡桜ケ丘に午後7時頃着の予定である。
我が家に着くのは午後9時頃になると予想した。
娘は成田に着いた時点で息子に電話連絡をし息子が私にメールをすることになっていた。
しかし息子は仕事中だから電話は受けられないかもしれないと言っていたのでメールは期待していなかった。
自宅では義父と夫が食事をしながら孫娘の話をしていた。
「しばらく会えないから寂しい」と言っている二人を見ながら私は
『もうすぐあえます』
と心の中で叫んでいた。
7時15分頃息子から「もうすぐ着きます」と携帯にメールが入った。
後で息子は娘からの連絡は成田に着いた時点でとれていたが連絡するのをぎりぎりまで遅くしたと言った。
なぜなら私が興奮して取り乱さないようにとの配慮からだった。
義父は通常7時30分頃寝床に行きテレビを見ながら横になる。
今日はもう少し起きていて欲しいと思い私は寝床の隣の部屋にある掘りごたつの掃除を始めた。
囲碁教室では掘りごたつはお茶を置くテーブルとして使っているが連休などは布団をかけて掘りごたつとして使っていた。
しかし掃除が終わった7時50分頃義父は寝床にいってしまった。
そして夫と二人でテレビを見ていた時玄関のチャイムが鳴った。
我が家では夜に玄関のチャイムが鳴ったときは夫か息子がでるようにしているのでもちろん夫が玄関に出た。
私は急いでムービーカメラを持ち夫の後を追った。
娘の「毎日新聞です」と言う声が聞こえた。
このとき私は宅急便を装うようにということを忘れていたことに気づいた。
なぜならば毎日新聞の今月の集金は終わっていたのだ。
しかし夫は何の疑いもなくドアを開けた。
そして夫は娘を見て異常な声を上げて驚き孫娘を抱き上げ娘の夫の名を叫んだ。
後で娘と玄関の場面の打ち合わせをしなかった事を悔いたが結果的に夫にばれなかったので良しとした。
義父は玄関での夫の異常な声で何事が起きたのかと驚いて起きてこようとしていた。
夫が孫娘を抱いて義父の部屋に行き「孫娘が来た娘が来た娘の夫がきた」と興奮して義父に報告する姿は私と娘にとって大成功のVサインであった。
義父も夫からひ孫娘を抱かされて「よくきたね」と言う前に「バイバイね」と言ってしまうほど異常な興奮の雰囲気にのまれていた。
この時の孫娘は疲れていたせいかいたっておとなしくきょろきょろと不思議そうにみんなの顔を目で追っていた。
この事の一部始終は私の撮ったムービーカメラと娘が撮ったムービーカメラにしっかり納まった。
大興奮の夫に明日の予定と年末の予定を報告したが夫は何となくうわの空で孫娘と一緒に寝るため寝室に孫娘をつれていった。
私は娘がアメリカで購入した便せんに一言メッセージのプリントアウトをする作業をした。
娘は義父母や友人から預かった夫へのプレゼントなどをクリスマスツリーの下に用意した。
我が家のクリスマスツリーは毎年12月の中旬から正月の松の内まで飾っている。
私と娘がベッドに入ったのは午前2時を過ぎていた。
12月28日
娘と息子の友人を呼ぶサプライズパーティ当日。
部屋のセッティングはまずRさんが作ってくれた達筆の定年退職祝いの横断幕を部屋に掲げた。
夫には昨日プリントアウトした一言メッセージを渡し今日と年末に来る予定の皆さんを報告した。
娘は昨日用意したプレゼントの報告を夫にした。
夫はまだ夢心地でそれらを確認しお祝いの一言メッセージに目を通していた。
息子が帰宅し昨日の様子を私達が興奮気味に一部始終報告すると息子はいたって冷静に聞いていた。
今日の料理は前持って準備ができなかったので鮨とピザの出前であった。
それと息子に職場の近くの有名なお店のお稲荷さんを買ってきてもらった。
また前日夫には年末年始用にと言って購入した青木屋の和菓子やドンキホーテのスナック類を並べた。
飲み物類も年末年始用にと大量に購入していたのでそれを用意した。
この日は予定していた12人のうち1人をのぞいて11人の皆さんが来てくれた。
また奥さんやガールフレンドを連れてきてくれた友人もいて総勢14名の皆さんが集まり夫は何回も乾杯をして喜んでいた。
(K.N君とガールフレンド・S.Sさん・Y.Tさん・K.Hさん・T.K君と奥さんご夫婦・S.N君と奥さんご夫婦・T.Y君と奥さんご夫婦・R.M君・T.I君・K.M君)
12月28日29日
予定では夫は鹿嶋に行くことになっていたが勿論中止にして孫娘との時を楽しんでいた。
12月31日
サプライズパーティーにこれなかった方とのサプライズパーティーパート2と毎年恒例の年末年始を過ごす会とを一緒にしたこの日には14名の皆さんが来てくれた。
(M君・T.I君・K.M君・S君・R.M君・N.Hさん・T.Mさんとお嬢さん・S.N君と奥さんご夫婦・M.Tさんとフィアンセと妹さん・米空軍兵のB氏)
この日は娘がアメリカ仕込みのチキン料理を作った。
私は例年のように買い物をし料理をして娘の料理と一緒に並べた。
この日はいつもの大晦日よりはるかに盛り上がり皆で夫の定年退職を祝ってくれた。
そして除夜の鐘を打ちに皆で近くのお寺にお参りに行った。
夫は定年退職となったこの年末年始を忘れられない思い出として胸に収めたことでしょう。
夫は本当に全てを知らなかったのか?
或るいは私たちの言動に疑問を感じつつ多少の期待は持っていたのか?
それとも全てお見通しだったのか?
私達は夫に訪ねた。
答えは
「全くしらなかった」
であり私達は大成功の快感に再び浸った。