2005年9月19日

香港国際空港に着き、搭乗手続きのため日本航空のファーストクラス用カウンターにYさんと行った。
Yさんが手続きをしている間、私達はファーストクラス用カウンター前に敷かれた赤い絨毯に立って待っていた。
手続きが終わり、私達は香港国際空港の<日本航空ラウンジ>に行った。
そこは滑走路に止まっているJALの航空機が見渡せる大きなガラス張りの広い空間だった。
奥の一角がファーストクラス専用の場所になっていて、それを示す張り紙がついたてに貼ってあった。



JALファーストクラスエリアの張り紙(香港国際空港)

娘と息子はそこに荷物を置いて空港内のショップへ行った。
私と夫はセルフサービスの飲食を楽しんだ。
搭乗時刻が近づいたので出発ゲートに行くとYさんが待っていた。
そこには、チョベマリーナロッジで一緒になった日本人のツアー客も集まっていた。
彼らは皆疲れた様子をしていた。
そして、Yさんが
「成田空港では、ファーストクラスの乗客のほうが早く航空機を降りるので、先に手続きが終わるともう会えないかもしれない」
と言いながら、私達に別れの挨拶をした。
私達もお礼を言い硬い握手をしてゲートに入った。
約5時間で日本に着いてしまうと思うと嬉しいような寂しいようなここでも複雑な気持ちになった。
日本航空ファーストクラスの広い空間には、2人用の座席が1列に2セットで、それが3列の12席だった。
私達は2列目の2セットに4人ならんで座った。
すぐ、若くて美しく物腰の穏やかな日本人女性のフライトアテンダントがウエルカムドリンクをサービスしてくれた。
続いて、やはり日本人女性でベテランの落ち着いたチーフフライトアテンダントが搭乗お礼の挨拶に来た。
日本語だとかえって緊張することが分かった。
落ち着いたところで食事のメニューが配られた。
私は洋食コースの<シェフおすすめメニュー>
夫と息子は和食コースの<日本の秋の味>
娘は単品メニューの<うなぎ春雨ごはん>をオーダーした。
ちなみに、息子はコースの<御飯>を<うなぎ>に変更してオーダーした。
また、デザートはワゴンでケーキとフルーツが運ばれ、チーフフライトアテンダントがオーダーによって華麗な盛り付けでサービスした。
私達は<日本航空ファーストクラス>の極上のサービスと極上の美味しさを味わった。
食後私達は写真を取り合った。
この時、座席を移動したり座席をフルフラットにしたりと少々騒がしくしてしまったが、前の座席と後ろの座席の人達には影響がないほど座席間の空間は広々としていた。
その後、おみやげにと<JAL FIRST CLASS>のロゴ入りアメニティーポーチを1つずついただいた。
中には<資生堂>の化粧品が入っていたので娘はとても喜んでいた。



JALファーストクラスアメニティーポーチ

あっという間に成田空港への着陸態勢が整い、シートベルトを閉める合図がでた。
すると、一番前の大きなモニターが操縦席のガラス窓と同じ状態になった。
まるで、操縦席に座って操縦桿を握っている機長にでもなった気分であった。
滑走路が見え、まさに着陸する瞬間を目の前で見た。
私達の乗った飛行機が滑走路を走り、徐々にスピードが落ちて、ゆっくりとゲートに近づいて行く一部始終が写しだされていた。
事前調査で、航空機の座席ランクについて近畿日本ツーリストのHさんに問い合わせをした。
全線往復ファーストクラスを利用すると、1人250万円は超えてしまうと言われた。
だが、現実にはファーストクラスを利用したのは、成田〜香港間の往復で、香港〜ヨハネスブルグ間はビジネスクラスであった。
そのため、この一人250万円をクリアーできた。
私のファーストクラスのイメージは<座席がフルフラットで、機内食が美味しく、サービスが行きとどいている>だった。
実際キャセイパシフィック航空も日本航空もその通りであった。
くわえて<その場所の空間の広さ>と<たった12席>であったことが驚きだった。
南アフリカ航空はファーストクラスがなく、ビジネスクラスが最高ランクで、私のイメージするファーストクラスに充分匹敵した。
今後海外旅行をする時に
「エコノミークラスに乗るのが
辛いだろう」
と家族で話したのであった。
成田空港に着き入国審査を受けるため並んでいると、Yさんが急ぎ足で近づいてきた。
香港国際空港で別れの挨拶を済ませたが、成田空港でまた会えて良かったと思った。
入国審査を終えスーツケースの宅配を済ませ、高速リムジンバスの乗り場へ行った。
そこでYさんに再度お礼と別れの挨拶をし、硬い握手をして私達はバスに乗った。
Yさんは私達の乗ったバスが動きだすまでそこで見送ってくれた。
高速リムジンバスを下り自宅まではタクシーを利用した。
タクシーの中で私達が初めに話題にした旅行の思い出は食事のことだった。
家についたのは、深夜11時半頃になっていた。
しかし、タクシーの車中で始まった思い出話は終わることなく、次から次へと思い出はよみがえり、4人の話は盛り上がる一方だった。
そして、息子のデイパックから楽器の<ムビラ>とともに、ボマデイナーでたたいた<ジャンベ>の<小型ジャンベ>や、現代的な民族衣装の<シャツ>そして最後に<ダチョウの卵の置物>が出てきて大騒ぎになってしまった。



ムビラ


ジャンベ


民族衣装


ダチョウの卵の置物

というのも、事前調査でおみやげについて何を買ったら記念になるかなどと話あったが、結論は出ないままであった。
そして<ダチョウの卵の置物>だけは絶対いらない物になっていた。
それを息子が買ってきたことでおみやげ論争が始まってしまった。
<木彫りのキリン>や<木彫りのゾウ>とか、ザンビア側のビクトリアフォールズ出入り口付近にあるマーケットで
「ワンダラー!」
といって売っていたものとか、ザンビアの入国審査管理事務所の前で専用車に近づいてきた物売りのものとかを
「買ってくれば良かった」
と、私も夫も娘も反省してしまった。
<ダチョウの卵の置物>は思いのほか素晴らしいものであった。
夫と息子は翌日から出勤のため、ひとまず旅行の話をお開きにして、興奮ぎみの家族は床についた。
プレゼント旅行は、全員無事帰国し、極上の贅沢と、極上の楽しい思い出を作って終わってしまった。
しかし、写真やビデオの整理が山のようにあり、旅行の余韻はまだまだ楽しめそうである。